「鉄道大国日本」の父は、英国に密航した幕末の志士だった

鉄路をつないで国をつくれ!
江上 剛 プロフィール

紆余曲折の鉄道敷設

――伊藤や井上馨は先に帰国しますが、勝や山尾は大学卒業後、明治元年になってから帰国します。

彼らはイギリスで学び続け、木戸孝允に「新政府のために技術を役立てよ」と再三要請され、やっと帰国するんですね。小説の後半は、鉄道敷設に邁進する勝の姿が中心となりますが、山尾庸三との対立関係も読みどころとなっていくかと思います。

山尾は「日本の工業の父」と言われる人物ですが、性格は勝と違います。勝は猪突猛進型の技術屋で、作業着を着てツルハシを片手に現場に入っていくタイプ。対して山尾は、政治力をうまく使い、ポストも常に、勝よりやや上にあった。

勝は、新橋-横浜間が開通した後、神戸-大阪間の工事のために拠点を関西に移そうとしますが、上司の山尾が反対したため、反発し、一度は辞表を提出してしまうんですね。

ですがその後、伊藤博文に「我が職掌はただクロカネの道作りに候」と手紙を書き、復職することになります。

 

――全国に鉄道敷設計画が展開され、実現していく過程も、読みごたえがあります。

意外にも西郷隆盛が反対派の筆頭で、計画に難癖をつけてきたりします。廃藩置県と国内統一を見すえる開明派は推進しようとしますが、そもそも予算が足りない。また、鉄道敷設予定地では建設反対運動が起き、工事そのものも外国人技術者頼みで……。

それでも勝たち開明派は、日本人の手で日本各地をつなぐのだ、と奔走します。

1952年当時の新橋駅(Photo by wikipedia)

用地確保の難しさに、新橋-横浜間で「陸路を諦め、品川沖を埋め立てよ」と言った大隈重信のアイデアはユニークでしたね。商都として繁栄していた大阪では中心地を避け、田園地帯だった「埋田」(現在の梅田)に大阪駅を作っています。

――東京-京都間をつなぐ線路は、中山道ルートから工事が始まっていたなど、意外な鉄道の歴史にも多く触れていますね。

当初の計画では東海道ルートではなかったんです。トンネル掘削技術がおぼつかず、勝が自ら調査に乗り出し、東海道ルートへの変更を決断した。

一方計画が頓挫した中山道ルートは現在、リニア新幹線が構想されており、感慨深くもあります。

日本で鉄道が計画されてからおよそ150年、日本の鉄道は端から現在の姿であったわけではありません。勝のように必死に学び、命がけで線路を敷いていった人々の蓄積の上に成り立っているんです。

今につながる歴史の一端を、この小説でみなさんに知ってもらえたらうれしい限りです。

(取材・文/窪木淳子)

週刊現代』2017年4月29日号より