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ゼロからわかる香港と中国のねじれた関係

東アジアのゆくえを考える
岡本 隆司 プロフィール

香港こそ、わが「本土」

ところがここ数年、軋みが目立ってきた。

不動産の高騰や格差の拡大など、大陸との経済的な矛盾が深まったばかりでなく、いっそう直接的な政治問題も顕在化している。

大陸とは異なる体制で「高度な自治」を認めたはずにもかかわらず、議会や法律、あるいは言論に対する北京の工作・容喙・干渉が露骨になってきた。習近平政権が発足したころからだろうか。

こうして中国の言動を喜ばない気運が高まっている。

2014年のいわゆる「雨傘革命」はそのあらわれだった。制限的な選挙権の撤廃、民主化を要求したデモそのものは鎮静化したけれども、その潮流はなお滔々とやまない。

「雨傘革命」2014年〔PHOTO〕gettyimages

当代、生まれも育ちも香港だという人々は少なくない。とりわけ青年はしかり、大陸とは異なる香港こそ、わが「本土」と見なすのも、ごく普通となった。いわゆる「本土」派である。香港「民族」の存在をとなえ、その「独立」を主張する者も少なくはない。

それほどに極端過激な「本土」派でなくとも、北京と親中勢力に対する反感は、やはり根強いものがある。

そうしたなか、中国政府が支持した林鄭行政長官が就任したから、政治的な対立や抗議活動が再燃する可能性は高まっている。

もともと「中国」は多様・多元

しかしこうした現状は、いったいどこに由来するのだろう。冒頭にふれたアヘン戦争・南京条約であろうか。

 

中英の戦争と条約は、たしかに香港という都市のはじまりにはちがいない。

しかし植民地以後の香港を特徴づけるのは、大陸と異なる政体・経済の分立・並立というシステムである。アヘン戦争が都市建設のきっかけだったにしても、システムの起源ではありえない。

香港が植民地になり、北京政府の統治から離れても、大陸の人々はそこに住み着いた。しかしそれは、香港だけに限った話ではない。近隣にポルトガルの治めたマカオという前例もあったし、同時代には「租界」という、やはり中国と施政の異なる地があった。いま「二制度」と呼んでいる事態は、ずっと存在していたものなのである。

現在「中国」と称する範囲が覆う各地は、今も昔も決して均一ではない。むしろきわめて多様で、多元的だといったほうが肯綮(こうけい)に当たっている。

「二制度」の香港に限らない。チベット・新疆など、言語・習俗が異なる少数民族はもとより、同じ漢族でも上海と西安では、とても同じといえないだろう。都市と農村なら、貧富の格差だけではなく、経済のしくみ自体がちがうといえるかもしれない。