(*第1回はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/51458)
布団のうえで身動きもできず死にたくなっているときは、好きなことがまったくなくなってしまう。好奇心がまったく発動せず、なにを見ても灰色がかっている。
09081064666 に電話をしてくる人もこれに困っていると言ってくる人が多い。
そういうとき、僕はこんな質問をする。
「赤と青だと、どっちが好きですか?」
そうすると、すぐにどちらかの色を答える。つまり、好きなものがないわけではない。ただ混沌としている状態なのかもしれない。あらゆるものが混ざっていて、自分では正確な位置がわからず、迷子になっているのかもしれない。頼りにしていた羅針盤となる、脳みそが誤作動を起こしているので、当然だ。
しかし、二択でどちらかと言えばどっちがいいですか? くらいの簡単な質問にすると、もしくは質問の角度を変化させると答えることができる。
やりたい仕事がない、と嘆く人には「肉体労働と事務仕事だとどちらがいいですか?」と聞けば、これもまたすぐに答えてくれる。
そういう二択で僕も書いているだけである。
「部屋で寝ているままか、何かするのはどちらがいいか?」
何かしているほうが気がまぎれる。
「では、外で散歩するか、部屋で書くかどちらがいいか?」
そんなわけで、書いている。
書こうとすると、当然ながら、自分の不安と向き合うことになる。ところが、不安はどこまでも曖昧で、ふわふわとしていて、空気よりももう少し物質のようにも思えるが、実際に見ようとしてもなかなか難しい。
結局のところ、向き合うことは不可能であるとわかる。むしろ、自分が感じている、死にたいと思うこの感情を発生させている不安のもとは何かと探す作業がはじまる。
はじめは思っていることをそのまま書いていく。
「きつい。とにかくきつい」
こういうことを書いていく。
次にどうきついのか。なぜきついと感じているのか。ああでもないこうでもないと書いていく。
ここで何か思いとどまるようなことはせず、名文を書こうなどとはまったく考えることなく、ただ頭にあるものをできるだけ転写するように心がけて、ただひたすら書く。
書きはじめは落ち着かない。
だが、やめると、また死にたい感情に支配されてしまう。書いても意味はない、などと考えてしまうが、ここに意味は持ち込まないようにする。
とは言っても、すぐ「こんなことやっても意味がない」という感情は強いので消し去ることはできない。焦燥感がそうさせているのかもしれない。