人間の世界は「鈍感な人」をベースにつくられすぎじゃないか

坂口恭平の新政府総理談話(2)
坂口 恭平 プロフィール

日常生活こそが「地震」

つまり、自殺したくなっている状態とはこのようなときであるのかもしれない。地震の真っ只中で、我慢してその場で生活をしていることと同じなのだ。

僕は何度も、妻に自分の危険な状態を伝えるのだが、妻からは「どうにか助けたいとは思うけど、実際にはそれがどんな状態なのかわからない」と言われる。そんなときに一緒に逃げようと言ったって無駄なのだ。

それでも僕は逃げなくてはいけない。

僕は何も地震のときだけ逃げているわけではない。むしろ、逃げているのは毎日のことであって、僕は逃げる専門家なのである。

できるだけ心地よい空間に逃げこみたい。ねずみみたいなものである。挙動不審なねずみのことを考えると、落ち着く

(c) Kyohei Sakaguchi

人間の世界はどうも鈍感な人をベースにつくられすぎてやいないだろうか

毎日、できるだけ同じテンションで、生活を継続することができる多数の人(本当にみんながそうなのかは怪しいが)を念頭において、リズムがつくられている。

僕はとにかくそこから毎日、逃げることを考えている。僕にとっては日常生活、道路を疑いもなく走る車、通勤電車、何気ない商店街の風景、そういうものが地震に感じられるのだ。

そこで逃げようと試みる。ところが、この地震は物理的にどこへ逃げてもまったく変わらない。九州大震災では熊本から横浜に逃げた瞬間に楽になったが、こればっかりはそうもいかない。どこも同じように揺れているからだ。

慣れない場所だと揺れは余計に大きくなる。人の目も気になる。しまいにはあらゆる人の視線がすべて突き刺さってくる。自意識過剰だ。

 

しかし、そういう脳みその状態になっているのだから仕方がない。僕はそれを「脳の誤作動」と呼んでいる。揺れているのは、外だけでなく、脳みそも同じなのである。普通ではなくなっている。

ところが、僕が見るもの、聞くもの、触るものすべて脳みそが受信・発信を行っているもんだから、あらゆるものに誤作動が伝染してしまう。この状態では、行動を起こすことは不可能だ。もう寝込むしかない。

寝込んだって何一つ変わらない。じっとしているともっと恐ろしくなる。退屈と虚無と焦りが一気に襲いかかってくる。これはもうだめだ。そして、死にたい、という思いは最高潮へと向かっていく。

飛び降りはきついな、首を吊ろう……。

昔、完全自殺マニュアルで読んだ勝手な楽に死ねる案が頭に浮かび上がってくる。こうなると、もうだめだ。