日本の政治経済最大の事件「国鉄・民営化」暗闘の20年を追う

経営、労組、そして政治……

まるで明治維新の薩摩武士

―その結果、国鉄当局はマル生を中止。勢いづいた労組はさらに様々な要求を突き付けます。

とりわけ驚くのは「昇職・昇格基準の設定」を組合に渡してしまったことです。従来、国鉄では勤務成績や職務能力によって昇格を決めていました。しかし、組合の要求により、能力に関係なく、勤続年数で自動的に昇職・昇格者を決めることになってしまった。結果、職員の間に「働いても働かなくても給料は同じ」という風潮が蔓延することになったのです。

―混乱を受け、政界から「国鉄分割・民営化」を求める声が上がります。

その中心となったのは、昭和55年に発足した鈴木善幸内閣で、行政管理庁長官に就任した中曽根康弘氏でした。

当時の国労は、20名程度の代議士を国会に送り込むだけの票を持ち、社会党を支持していた。そこで中曽根氏は「労組を潰すことができれば社会党を崩壊させることができる」と考えたのです。そして土光敏夫・経団連名誉会長をトップに据えた「第2次臨時行政調査会」を発足させ、国鉄の分割・民営化の論議が本格的にスタートしました。

 

―国鉄内部からも、後にJR各社の社長となる井手正敬、葛西敬之、松田昌士といった改革を志す若手職員が台頭します。

井手氏ら3人は、採用年次も歩んできたキャリアも異なりますが、共通するのは地方管理局に勤務したことです。彼らは現場に出て、人事権までも組合が握っていることを知り、改革を志した。国鉄当局の中で分割に反対する「国体護持派」は、彼らを中国で文化大革命を主導した「四人組」になぞらえて「三人組」と呼び、国鉄に弓を引く反逆者とみなしていました。

しかし三人組に共鳴する若手職員は次第に増え、昭和60年には総勢20名が「抜本的な国鉄改革の方法は分割・民営化しかない」とする「決起趣意書」に署名しました。明治維新では薩長の下級武士が決起しましたが、同じようなことが国鉄でも起こっていたのです。

―各人各様の思惑が絡んだ結果、国鉄は解体。30年が経った今、分割・民営化をどう評しますか。

民間企業になったおかげで、サービスは格段に良くなりました。列車が滞りなく動くのはもちろん、「エキナカ」と言われる駅構内の商業スペースは充実しているし、トイレもきれいになった(笑)。

ただ、民営化の恩恵を受けたのは本州の東、西、東海だけで、北海道や四国は苦戦が続いている。分割・民営化はいまだ「道半ば」だと思います。

(取材・文/平井康章)

週刊現代』2017年4月22日号より