# 日本史

江戸幕府はなぜ「鎖国」したのか 〜現代日本人が見過ごしがちな真実

それはひとつの宗教戦争だった
堀井 憲一郎 プロフィール

それはある種の「宗教戦争」だった

羽柴秀吉や徳川家康は、キリスト教が広まる未来を想像して、敢然、排除へと向かった。おそらく、キリスト教が広まることによって、彼らの考える日本の平和は成し遂げられないとおもったからだろう。

暴力的な時代は、その対処も暴力的にならざるをえない。

しかし時間はかかった。

1587年の秀吉の伴天連追放令から、1639年のいわゆる鎖国令の完成まで、50年かかっている。50年の年月をかけて、キリスト教徒を完全に排除していった。

これまたすごい作業である。一時、数十万人いたとされるキリスト教徒を、日本国内から一人残らず排除したのだ。

私はこれを〝キリスト布教しようとする勢力〟と〝日本国〟のある種の〝宗教戦争〟であった、と見ていいとおもっている。

その緒戦というか、戦いが始まる前に、秀吉・家康ラインが敵を徹底的に叩いたまでである。つまり、鎖国は宗教戦争の結末である。実際に戦端を開かないための知恵だったのだ。

秀吉の時代にはフランスでユグノー戦争が起こり、その少しあと(三代将軍徳川家光が鎖国を完成させる時代)にドイツでは三十年戦争が展開している。宗教戦争である。キリスト教徒同士でも、信じるものが違っていれば敵と見なして、殺し続けている時代であった。

たまたま、その軍隊の本拠地が日本から遠かったために、本格的な戦争に至らなかっただけ、と考えたほうがいいのではないか。

 

昭和25年に、和辻哲郎は「侵略の意図など恐れずに、ヨーロッパ文明を全面的に受け入れればよかったのである」と書いたが、これもまた暴論である。侵略の意図は恐れたほうがいいに決まっている。

ポルトガル軍やスペイン軍と誰も戦いたくなどない。勝ったところで、こちらは何かを得るわけではない。戦国の武将は、おそらく専守防衛をあまり好きではなかったはずだ。

しかし昭和25年の日本人が住んでいたのは、独立国の日本ではない。アメリカに占領された場所に住んでいた。戦争に負けたあと、日本の力で西洋文明に対抗しようとするのは、そもそも無理だったんだよ、という気分が国中を覆っていた。

20世紀にアメリカ占領エリアになるくらいなら、16世紀に少しくらい危険をおかしても、西洋国と一緒に近代を歩むべきだったと言いたくなる気持ちはわかる。

そういう思潮は、昭和の後半をずっと覆っていた。

鎖国という否定的なニュアンスを持つ言葉は、明治大正昭和時代にとても力を持っていたのである。そのことは、頭のどっか片隅に置いておいていたほうがいい。いま現在もまた、そういう流れと同じところにわれわれは立ち続けているのだから。