# 日本史

江戸幕府はなぜ「鎖国」したのか 〜現代日本人が見過ごしがちな真実

それはひとつの宗教戦争だった
堀井 憲一郎 プロフィール

徳川時代の次に位置づけられる一区切りとして、「明治・大正・昭和時代1868-1989」という歴史区分があっていいなと今おもいついたのだが(「明大昭」時代、ないしは「MTS時代」との表記はいかがでしょう)、その「明大昭時代」の用語として、「鎖国」という言葉に意味があったのだ。

明大昭時代の思想を考えるときに、「鎖国」という言葉はキーワードの一つなのである。

たしかに、徳川時代を通して、すきまなくぴったりと国を鎖ざしていたわけではない。長崎と薩摩と対馬と蝦夷の四つの口は開けていた。

しかし逆に言うとその四つしか開けていなかったわけで、その前の時代や、あとの時代と比べて、ずいぶんと狭いのも確かである。

その口の狭さが、また徳川時代を形作っていたのだから、「幕府の対外政策」という助詞の入った言葉ではなく、何かしらの一言で表してもらったほうが便利である。

「海禁」なら「海禁」でいいとおもう。そのへんは一般人の常識的な日常用語なのだから、あまり真剣に学者の意見を聞いてもしかたがない。プロの野球戦法を、アマチュア草野球で取り入れたところで、ほとんど意味をなさないのと同じだからだ。

「西洋文化に対する強いコンプレックスを持っていた時代」の空気として「鎖国」という言葉には強い存在感があった。

逆に言えば、鎖国という言葉を使わなくてもいいんじゃないかという考えは、私たちの西洋コンプレックスがかなり薄まってきたからだ、ということになる。和辻哲郎が書いたような、焼けるほどの西洋コンプレックスは、たしかにいまの日本人にはない。

私の個人的な風景からおもいだすと、1989年ころ、日本企業がニューヨークのロックフェラーセンターやコロンビア映画会社を買収したころに、やっと鎖国の出遅れから(第二次大戦の敗戦コンプレックスから)抜け出せたようにおもう。

それからもう30年である。たしかにかなり薄まってきているとおもう。それは悪いことではないだろう。あまりに国粋的な動きになるのは(反っくり返りすぎなので)、どうかとおもうが。

キリスト教布教の異常な熱情

そもそも、鎖国といえる状態になった理由を、みんなあまり真剣に捉えてない。

17世紀に、江戸の中央政府は「国を鎖ざす」という宣言はしていない。世界と没交渉になってこの国だけに閉じ籠もりたいという政策を打ち出したわけでもない。

ただひたすら、キリスト教を日本国内から排除しただけである。

 

日本にキリスト教徒を存在させないためだけに、国を鎖じた。そのへんの宗教的な事情があまり理解されていないともおもう。

おそらく、現在のフランス、ドイツ、イギリス人、スペイン人などをおもいうかべ、彼らの多くはキリスト教徒だとおもわれるが、何らかの脅威を感じることはなく、他宗教教徒だと強く意識させられることもあまりない。その感覚をもとに、16世紀から17世紀を眺めているからだろう。そこからは何もわからない。

16世紀の〝宗教にまつわる熱情〟は、いまから見ればひたすらに異常である。

ルターによる宗教改革が16世紀の前半に始まり、新教と旧教の対立が先鋭化していくのが16世紀の風景である。

その対立が、遠い彼方の日本国までやってきた。フラシスコ・ザビエルは命を捨てる覚悟でやってきた。

和辻哲郎も、彼らイエズス会士のことを「中世的戒律を守り、自己及び同胞の魂を救うために身命をささげて戦う軍隊であった。従ってそれは内面化された十字軍であるということもできる」と記している。

彼らは、日本人たちを神の国へ導くのだという強い決意とともにやってきている。きちんと命を賭けている。その熱意は、当時の日本人に伝わったのだろう。日本人のキリスト信徒はどんどん増えていった。