野球選手の人生は13歳で決まる(1)想像を絶する有力校の争奪戦

なぜ彼は大阪桐蔭に決めたのか
赤坂 英一
Photo by iStock

学校の成績は「オール5」

さらに、打っても走っても素晴らしいプレーを見せる。とりわけ、長打を飛ばして二塁、三塁へと駆け込む走塁の速さ、巧みさには、岩瀬や川上も驚いていた。甲子園で根尾本人が強調した走塁も、当時からプロを唸らせるほどだったのだ。

そんな根尾の評判は、もちろん関東の少年野球界にも知れ渡っていた。ロッテ、中日、巨人と3球団を渡り歩いた元プロの投手・前田幸長が会長を務める横浜のチーム、都筑中央ボーイズのグラウンドを訪ねると、視察に来ていた慶應高校野球部の関係者が、「確かに根尾くんはほしかった」と、こうもらしている。

「高校の野球部はいま、どれだけ優秀な中学生を集められるかにかかっています。ただ、昔のように野球さえできれば特待生扱いで入れる、という時代ではない。ウチにもスポーツ推薦の枠はありますけど、その枠で試験に受かってもらわないといけない。

その点、根尾くんは学業も非常に優秀で、オール5か、それに近い成績だったと聞いてます。とくに英語が得意だそうですね。だから、ぜひウチに来てくれればと願っていたのですが」

根尾昂は2000年4月19日、岐阜県飛騨市に3人兄弟の3番目として生まれた。上に姉と兄がいる。50歳の父・浩、49歳の母・実喜子は地元で診療所を営む医師の夫婦だ。

昂という名前は心や気持ちの「昂ぶり」から取られているという。

 

冬は雪国となる土地柄ゆえか、根尾は僅か2歳でスキーを始めて、川合小学校に入ると大人たちと一緒にスキー場の終了時間まで延々と滑り続けていた。「実家はど田舎で、森の中、山の中ですから」と根尾は言う。

兄の影響で野球を始めたのは小学2年からで、地元の古川西クラブに入団する。当時はエース兼三塁手で、古川中学に進んで飛騨高山ボーイズに入団すると、内野手としてはショートに回る。

その傍ら、スキーもしっかり継続して、中学2年で男子回転の全国大会で優勝している。イタリアで行われた国際大会にも出場したほどで、当時は「野球をやめてスキーで世界を狙うんじゃないかという噂もありました」と中日の水谷は言う。

もっとも、根尾本人は「イタリアでの成績は、全然大したことない」と苦笑いして首を振った。

「スキーはいまでも好きですが、結局中2まででやめてるんですよ。こうして野球を続けてますんで、やっぱり野球が好きなんじゃないですかね」
とはいえ、根尾自身が「スキーの経験は野球に生きている」と言うように、現在のプレーに絶大な影響をもたらしたのも確かだ。大阪桐蔭監督の西谷は、こう分析する。

「体幹や下半身の強さはもちろん、全体的なバランスのよさが素晴らしいんですよね。そこは確かに、ずっと関西で野球をやっている子とは違う。根尾独自の個性ですよ」

野球一本となった中学3年では日本代表のメンバーに選ばれ、愛知県で開催された世界少年野球大会に出場を果たした。さらに、全国のボーイズリーグから選ばれるNOMO JAPANの一員としてアメリカ遠征にも参加し、アメリカのボーイズとも対戦している。