日本の科学研究はなぜ大失速したか 〜今や先進国で最低の論文競争力

研究費を増やすだけではダメ!
仲野 徹 プロフィール

元三重大学学長の豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長が15年に報告された「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」というレポートがある。

2002年頃から日本の論文国際競争力が低下し始めていて、13年には人口あたり論文数が世界35位、先進国では最低である、などという内容を含んでおり、今回のネイチャーのレポートよりも衝撃度が高かった。

年次推移などから考えると、競争力の低下は、よく言われるような国立大学独立法人化の影響よりも、公的研究費の削減が最大の問題である、と結論づけられている。

ちなみに、世界中が研究費を増額している中、わが国の科学技術予算は、2001年からほぼ完全に横ばいだ。

研究手法の進歩は著しいが…

確かに、研究費の相対的な低下が競争力低下につながっているのは間違いないだろう。では、増額したらそれだけでキャッチアップできるかといえば、それほど甘くないのではないか。

研究というのは継続性が必要で一朝一夕にできるものではないし、研究レベルに応じたそれぞれの研究室の足腰の強さとでもいうものが必要である。

生命科学分野に限定したことかもしれないが、近年の研究手法の進歩には著しいものがある。それ自体は喜ばしいことなのだが、それに伴って必要な研究費も急速に増大している。だから、超一流とまでいかなくとも、そこそこの雑誌に掲載されるような論文を書くには、相応の研究費が必要である。

いまの公的研究費の総額と配分法から考えると、そのレベルから振り落とされてしまった研究室、いわば、半倒産状態に陥ってしまっている研究室は、地方国立大学を中心に相当な数あるに違いない。

不思議なことに、そういった声は全く聞こえてこないのだが、一旦、そういった状況に陥ってしまうと、再起するのは非常に困難だ。はたして、この十数年の低落傾向を立て直すには何年かかることだろう。

 

日本人のメンタリティーとして、寄らば大樹の陰的な考え方がしみこんでいるのだろうか、若手のPI志向が低いというのは由々しき問題だ。

PIになると、確かに、研究費の取得や人集め、研究室の運営など苦しいことが多いのだが、私が思うところでは、PIになってからが本当の意味での研究者である。欧米では、優秀な研究者は、ずいぶんと若い時点でPIになっていて、それが大胆な発想の研究につながっているようなところもある。

そのために、欧米ではテニュアトラック制が広く取り入れられている。テニュアトラック制とは、まず優秀な若手研究者を任期付きのPIとして雇用して、PIとしての経験を積んでもらいながら、そのアチーブメントを確認し、何年か後に終身ポストを付与する制度である。

日本でも文科省が導入を推奨していて、いくつもの大学で取り入れられている。しかし、あくまでも小規模であって、大々的にテニュアトラック制を取り入れている大学はほとんどない。

大阪大学のテニュアトラック制の世話役を務めた経験から、大学側にも研究者側にもさまざまな問題点があることはよくわかっている。なので、わが国において、現状の大学システムのままで、テニュアトラック制を広く取り入れるのは難しいと考えている。

若手研究者の大学離れを食い止めるべく、若手教員に対して終身ポストを積極的に付与する方策がとられ始めている。もちろん結構なことだ。

しかし、それだけならば、結局のところ昔の状況に後戻りするだけではないのか。それに、限られた人件費でそのようなことをおこなったら、そのツケを次にどこにまわすのか、という自己撞着のような問題が生じてくる。