私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」

「する」と「される」の外側へ
國分 功一郎 プロフィール

「私が謝る」ことは重要でない

仲直りするというのは、謝ることを経てはじめて訪れる出来事であり、なかなか高度なことです。

お互いに「悪かったよ」「ごめん」と言っているだけでは、仲直りはできません。

仲直りは、まさしくその字の通り、破損した仲が修復され、直って、元に戻ることです。

そのためには互いが謝るだけでなく、互いに互いを認め合うことが必要であり、時間がかかります。時間をかけて話し合い、心を再び開いた時、「ごめんね」という言葉が気持ちを伴って口から出てくるのです。

仲直りもまた、やろうと思ってできることではありません。

いや、仲直りしたいからじっくり話し合うということはできるのですが、仲直りという出来事そのものは、相手にもう一度心を開こうという気持ちが互いの心に現れなければならない。

やろうと思ってできることではないのです。待たなければならない。

 

「謝る」も「仲直りする」も、ある気持ちが心の中に現れ出る事態を指しています。これはちょっと考えれば分かることです。でも、実際にはあまり理解されていないと思います。

自分もそうでしたが、謝る気持ちが心に現れることが大切だと分かっていないと、人は「なんでこんなに謝っているのにこいつはそれを受け入れないのだ」とむしろ腹立たしく思ってしまいます。

もちろん、そのような状態にある時、人は未だ謝ってなどいないのです。「私は謝っている」とその人は思っているかもしれませんが、重要なのは「私が謝る」ことではないからです。私の心の中に「ごめんなさい」という気持ちが現れていることこそが本質なのです。

最初に書いた通り、私はこうしたことを長い間、理解せずに生活してきました。上のようなことをぼんやりと理解したのはこの10年ぐらいのことです。教えてくれたのは妻と娘でした。これまでの人生で、妻と娘以外の誰も私に、謝るというのはどういうことか、仲直りするとはどういうことかを教えてくれなかったのです。

私のケースは珍しいのかもしれませんが、世の中に似たようなケースがないとも思いません。これまで一度も人に謝ったことがない人、これまで一度も誰かと仲直りしたことがない人というのはそれなりの数、存在しているのではないでしょうか。

「自分はこれまできちんと人に謝ってきたし、友達と何度もきちんと仲直りしてきている」と自信満々に思っている方も、よかったら一度考えてみてください。自分は本当に人に謝ってきたのか。自分は本当に友達や恋人と仲直りしてきたのか。