正気ですか?「パン屋は愛国心が足りない」という道徳教育の愚

政治と道徳の笑えない関係
辻田 真佐憲 プロフィール

日露戦争後の社会の混乱(社会主義の流行など)に対応するため、忠君愛国や家族主義が強調されたのである。その結果、近代的な市民倫理は後退をよぎなくされた。なお、負薪読書の像で知られる二宮金次郎が重視されたのは、この時期のことだ。

もっとも、つづく第3期の修身書では、行き過ぎた国家主義がやや緩和された。第1期ほどではないものの、近代的な市民倫理が増加し、忠君愛国が減らされた。また、国際交流に関する内容も追加された。

この背景には、第一次世界大戦の勃発があった。「一等国」にふさわしい国民を育てるため、いわば国家主義と国際主義の中間が取られたわけである。

しかるに、第4期の修身書は、ふたたび国家主義に逆戻りした。満洲事変後に編纂されたため、「国体観念」や「日本精神」が重要なテーマとなり、「天長節」「紀元節」「明治節」など天皇関係の教材が加えられた。「君が代」も、天皇讃歌としてこのときはじめて単独の項目でとりあげられた。

そして第5期の修身書は、さらに国家主義を推し進め、超国家主義、軍国主義的な内容にいちじるしく傾斜した。日中戦争と太平洋戦争のさなかに編纂・刊行されたのだから、当然の帰結だった。

個人に関する道徳は限界まで減らされ、反対に国家に対する道徳は全体の半数近くにまで増えた。陸軍の介入で、軍事教材も大量に追加された。一方、外国人の登場はジェンナーただひとりになった。

以上を大雑把にまとめると、戦前の修身は時代に応じて、(日清戦争)開明的→(日露戦争)国家主義的→(第一次世界大戦)やや開明的→(満洲事変)国家主義的→(日中戦争)超国家主義的、と激しく移り変わったことになる。

このように修身の内容は、政治に激しく翻弄された。戦後、修身の復活論者が絶えないが、かれらは修身のどの部分に着目しているのか、しっかり問わなければなるまい。

(以上、国定修身書の内容については、海後宗臣編『日本教科書大系』および唐澤富太郎『教科書の歴史』によった)

戦後の道徳教育は保守派の念願だった

さて、太平洋戦争の敗戦後、GHQの指令で修身の授業は停止され、国定教科書は回収された。教科書の国定制も検定制に改められた。

そして1947年、小中学校で修身などに代わる社会科の授業がはじまった。社会科は、戦後民主主義を支える新しい教科として期待された。

だが、保守派は虎視眈々と修身の復活を狙っていた。かれらは、犯罪増加やデモなど様々な社会問題の原因を道徳教育の欠如に見いだしたのである。

1951年GHQの占領統治が終わると、その動きは一層活発となった。そして第二次岸信介内閣時の1958年、「学習指導要領」が改訂されて、「道徳の時間」が特設された。いわゆる「特設道徳」だ。

道徳の教科化には、日教組を中心に根強い抵抗があった。そのため、「特設」という中途半端なかたちでの導入となり、その授業内容も地域や時代によってバラバラの状態が続いた。保守派は、その後も道徳の教科化を諦めなかったが、保革対立のなかで長らく果たせずじまいだった。