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陛下の生前退位を前に知るべき、天皇家と近代国家をつなぐ「暗部」

セックスの力を王権強化に用いるということ
佐藤 優 プロフィール

「異形の輩」で権力強化

このような改革を行う場合、イデオローグ(思想家)が不可欠になる。その機能を果たしたのが男女間のセックスを教義に取り入れた真言密教の僧侶・文観だ。文観は同時に「異類」や「異形」との人脈を持っていた。

網野氏は、〈後醍醐は文観を通じて「異類異形」といわれた「悪党」、「職人」的武士から非人までをその軍事力として動員し、内裏にまでこの人々が出入する事態を現出させることによって、この風潮を都にひろげ、それまでの服制の秩序を大混乱に陥れた〉と指摘する。

 

結局、後醍醐天皇が天皇親政の回復を目指した建武の中興は頓挫した。その結果、権力の実体は武士である足利尊氏がトップをつとめる幕府に移った。しかし、足利幕府は、天皇自体を否定することはせずに大覚寺統の後醍醐とは別の系譜の持明院統の天皇を擁立する。

しかし、その後も足利尊氏は後醍醐天皇に対して畏怖の念を抱き続ける。そして、足利幕府は第3代将軍・足利義満のイニシアチブで南北朝の合同を実現する。実態としては、足利幕府に後押しされた北朝による南朝の吸収であった。

しかし、南北朝時代にどちらの王朝が正統であったかという論争が明治時代末期に起こり、政府は南朝を正統とした。その結果、学校教科書では南北朝時代という言葉が使えなくなり、吉野朝時代と呼ばれるようになった。そして、皇国史観の中心に後醍醐天皇が置かれるようになった。

敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)の主導で民主化教育が進められる過程で、後醍醐天皇は否定的に評価されるようになった。網野氏自身は、講座派(日本共産党系)の歴史家で、共産党を離れてからも、発想自体は典型的な講座派だった。後醍醐天皇に民衆を糾合する力があったと主張する言説を展開することは、講座派の歴史家としては勇気が必要とされることだった。

網野氏は結論部で、

〈後醍醐は、非人を動員し、セックスそのものの力を王権強化に用いることを通して、日本の社会の深部に天皇を突き刺した。このことと、現在、日本社会の「暗部」に、ときに熱狂的なほどに天皇制を支持し、その権力の強化を求める動きのあることとは決して無関係ではない、と私は考える。

いかに「近代的」な装いをこらし、西欧的な衣裳を身につけようと、天皇をこの「暗部」と切り離すことはできないであろう。それは後醍醐という異常な天皇を持った、天皇家の歴史そのものが刻印した、天皇家の運命なのであり、それを「象徴」としていただくわれわれ日本人すべても、この問題から身をそらすわけには決していかないのである〉

と述べる。

天皇陛下の生前退位が問題となっている現在、もう一度、本書を読み直してみる必要がある。

『週刊現代』2017年4月8日号より