日本映画史に残る多数の名作を送り出した、木下惠介と小林正樹の人生

戦争の影と青春の輝き
中島 丈博 プロフィール

大船撮影所に復職した小林正樹は「馬鹿と愚図は大嫌い!」という木下組の名助監督として『不死鳥』から『日本の悲劇』までの14作につくことになるのだが、その木下惠介の生涯と全作品を懇切に解き明かしたのが『新編 天才監督木下惠介』(長部日出雄著)である。

木下さんの映画の殆どは同時代的に観ており憧れの映画監督ではあったけれども、こうして全貌を突き付けられると、その人間性を含めての千変万化ぶりに改めてたじたじとならざるを得ない。

職人と芸術家の間を振り子のように往復運動を繰り返す天才監督は、作品によって映画の文体をカメレオンのように変えていた。『日本の悲劇』ではロケを多用した記録映画ふうに、『楢山節考』はオールセットで歌舞伎的手法をという具合に。

「木下惠介には二重人格の要素があって、ひとりは心優しい歌をうたう抒情詩人であり、もうひとりは意地悪で辛辣な目で人間の裏の裏まで見透かすリアリスト」であるし、女性的でお洒落でありながら、現場では「あの目よ、あの目」と高峰秀子を唸らせ、「あんなに目の怖い人はなかった」と小林正樹も洩らしている。

 

映画で日本を考える』(佐藤忠男著)でもかなりの頁を割いて木下惠介に触れられているけれど、「女々しさの復権、とでも呼ぶべき何か」はその抒情詩人的部分を指しているのだろうか。

「自分でシナリオを書いていて、書きながら泣いてしまうことがある」というナルシスト的箇所を読んで、私はようやく安堵に似た笑みを洩らすことができる。「才あって徳なし」と言われながら、ときにその幼児性の露呈をものともせず、映画作りのあらゆる場面での愉しさを貪婪に甜めつくそうとした生涯だったのだ。

『週刊現代』2017年4月8日号より