トランプ節は「プロレス」から生まれた!シンプルかつ快感の世界

だからこんなに愛されている
川崎 大助 プロフィール

トランプの「兄弟子」

さらに、この一連のプロレス体験のなかで、トランプは「兄弟子」と言ってもいい人物と運命の出会いを果たしている。それがジェシー・ベンチュラだ。

彼は米海軍の特殊部隊兵士としてヴェトナム戦争に従軍、のちに「ザ・ボディ」の異名のもとプロレスラーとして成功し、トランプがWWEと関係を持ったころは、「毒舌が人気の」解説者としてリングサイドで大活躍していた。映画俳優としても成功した。

日本で最もよく知られているベンチュラ出演作というと、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』(1987年)だろう。

映画『プレデター』。左端がジェシー・ベンチュラ〔PHOTO〕gettyimages

ここでヴェンチュラは、剃り上げた頭にスローチ・ハット、丸太のような腕には「Painless Gun(軽装のガトリング砲であるミニガン)」を抱え、鬚をたくわえた口元からは噛み煙草の汁をぺっぺと吐き飛ばす、という男のなかの男像を演じ、宇宙から来た異星人ハンターとジャングルで戦った。

そして彼は、ほぼこのときの「キャラクター」のまま押し通して、なんと、99年にはミネソタ州知事になってしまう! これは、共演したシュワルツェネッガーが2003年にカルフォルニア州知事に当選することにも先んじた、まさに快挙だった。

ヴェンチュラのそれ以前の政治経験は、1990年から95年まで、同州のブルックリン・パーク市(人口7万人程度)の市長を務めたことぐらいだった。しかも出馬は、共和党でも民主党でもない、アメリカ合衆国改革党ミネソタから。だから多くの「常識的な」人は「馬鹿な有名人の冗談」だと笑っていた。泡沫候補として、相手にしなかった。

しかし蓋を開けてみれば、僅差で勝利をもぎとっていったのは、「アウトサイダー」だったはずのヴェンチュラだった……どうだろうか。この展開、まるで昨年の「トランプ旋風」について書いているようじゃないか?

(だからマイケル・ムーア監督は、早い段階から「ヴェンチュラ効果に気をつけろ」と警告を発していた、のだが……)

 

そして事実、このヴェンチュラの当選がトランプに与えた影響は大きい、とアメリカでは分析されている。

さっき僕は「若いころのトランプに、いまの『トランプ節』はなかった」と書いた。では、いつこれが顕現したのか? 「ここ」と特定できる、そんな瞬間は、あるのか?……じつは「ある」。「このときだ」と指摘されている有名な映像がある。

ときに2000年1月7日。同年の大統領選に向けての、アメリカ合衆国改革党の資金集め集会にて、トランプは前述のブルックリン・パーク市で記者会見をおこなった。ここで、映像で確認できる最古の「トランプ節」が炸裂する。

トランプとヴェンチュラ。2000年1月7日〔PHOTO〕gettyimages

発売したばかりの自著の宣伝もかねてなのか、北朝鮮を、日本を叩くあの舌鋒が繰り広げられた――のだが、このときトランプの隣にいたのは、当時現役の州知事だったヴェンチュラその人だった。なぜならば、ヴェンチュラは同党の大統領予備選候補者として、かねてから友人だったトランプを推し続けていたからだ。

結局、トランプはこのときの選挙戦を途中で棄権してしまうのだが、ふるっているのが、そもそも最初にヴェンチュラが彼に立候補を持ち掛けたのは、アトランティック・シティで開催されていた「レッスルマニア」イベントの会場内だった、という出来過ぎの話まである(ニューヨーク・タイムズ、1999年9月25日付の記事より)。

また、トランプと大統領選ということで言うと、1988年に軽くひと騒ぎあったものの、彼が本格的なキャンペーン・レースに巻き込まれたのはこの2000年が初だった。

そして、このときの一連の「トランプ節」がメディア界から注目を集めたことも影響して、彼は04年にリアリティ番組『アプレンティス』の製作者およびホストとしてTV界に本格進出する。同番組は大人気を博し、ホストや内容の一部を変えながら、今日まで続く長寿プログラムとして成功をおさめることになる。

まさに、ヴェンチュラによって掘り起こされ、プロレスとTVに育てられて巨大化していったのが、トランプの「キャラクター」だったということがわかる。

*後編「トランプとアメコミの戦慄すべき関係」はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51308