歌舞伎と現代演劇の決定的なちがいは何か

戦後歌舞伎の精神史
渡辺 保

私はよく「猿之助の「ワンピース」をどう思いますか」、あるいは「コクーン歌舞伎や木ノ下歌舞伎をどう思いますか」と聞かれる。

私の答えは「現代演劇としては面白いけれども、あれは歌舞伎ではありません」。

歌舞伎はその造形力によって、精神的な感動と官能がなければならないからである。涙と陶酔。それがなければ現代演劇としては面白くとも歌舞伎ではない。

むろん私の考えは保守的かもしれない。しかしかつての歌舞伎はそうであり、今でも吉右衛門や仁左衛門や玉三郎にはそれがあって、私はそれを歌舞伎だと思っている。それがなければ歌舞伎は私には全く無縁のものである。

歌舞伎の将来はどうなるかわからない。だからこそ私は今、時代の流れのなかで自分がどこに立って居るかを確かめる必要があり、近代と現代の境界線の画定はそのために必要であった。

それは必ずしも歌舞伎という文化の一分野の問題ではない。社会の、日本文化の大きな問題のはずである。

私はかつて社会福祉学の第一人者が私の『歌右衛門伝説』を取り上げて、「これは歌舞伎の本でも歌右衛門の本でもない、人間が老いて行くにはどうすればいいかの本」といってくれた時に本当の読者に巡り合った気がした。

この本も歌舞伎の本ではない。

読書人の雑誌「本」2017年4月号より