作者が明かす『罪の声』が15万部を突破するまでの「苦悶と戦略」

もう、「書けば終わり」ではない
塩田 武士 プロフィール

「最高の状態で着地してくれ」

14年の年末だったか、京都で初代と現在の担当編集者の3人で飲んでいたときに切り出された。「そろそろ『グリ森』やりませんか?」。21歳のころからずっと書きたいと思っていたテーマだ。昂るものがあった。だが、それ以上に怖かった。着想からあまりに時間が経ち過ぎていた。

どうしても失敗できない――。そう思い詰めていた私は、このありがたい申し出を断った。年が明けて2月、両編集者と再び京都で会ったとき、半ば覚悟していた通り執筆依頼があった。

「過去八作で塩田さんが個人のエンタメを書けることは分かりました。次作からは社会と向き合って小説を書いてほしい。預かっている『グリ森』をやりませんか? 我々も人事異動があります。今なら全力でサポートできます」

前回の打診を断ってから、事件について考える時間が増えていた。日々、幼い長女と接するうちに、自分はこの子を犯罪に巻き込むことはできないという思いが強くなった。子どもたちが口にするかもしれないお菓子に、青酸ソーダを混入した犯人たちの悪意が、その冷酷さが、史実として本当に伝わっているだろうか。警察を揶揄し、巧みにマスコミを利用し、逃げおおせたアンチヒーローの虚像が勝ってはいまいか。

もちろん、今の自分に描き切れるかとの不安はあった。だが、チャンスは背伸びでつかむものだ。準備万端の状態で好機を期待するのは、虫がよすぎる。編集者の情熱が引き金となり、私は新たな連載予定を全て延期して、この作品に全身全霊を傾けることにした。売れていない小説家にとっては、シビアな判断だった。

 

私は独自の方法で複数の資料をつくり、事件現場を歩いた。幸運だったのは、取材協力者に恵まれたことだ。「ミスター・グリ森」と呼ばれた元読売新聞記者の加藤譲さん、経済ジャーナリストの田中周紀さん、その他、元証券会社社員の方や京都のテーラーの方などプロにしか語ることのできない密度の濃い情報を手に入れることができた。

ハウス食品の脅迫事件で、犯人が車を乗り捨てた現場の薬局が、タバコ店としてまだ経営していたこと、執筆時にオランダのビール会社「ハイネケン」の会長誘拐事件が映画化され、ヒントになったことなどツキもあった。

イギリスの三都市を巡った取材では、主人公の新聞記者になりきるため、設定通り英検準一級を取得。現地で道を尋ねたイギリス人の英語が聞き取れず、迷子になったことも本編で活かされている。

翌16年の3月18日の発売に間に合わせるため、私は早朝から深夜まで取り憑かれたように筆を進めた。目の前の原稿がプロットを遥かに上回っていく感覚は、プロになるために一つの壁を超えた、デビュー作『盤上のアルファ』以来のことだ。このまま最高の状態で着地してくれ、と祈りながら書き続けた。年末、キーボードで「了」の字を打ったとき、しばし呆然とした。

そして、ようやく冒頭の場面に戻る。先述の通り、ここから潮目が変わって新たなスタートラインが引かれたのだ。8月発売の狙いは、5月開催の講談社新刊説明会で、メディア関係者に作品をアピールすることだった。「創作」の最終局面である改稿の時期は、多くの読者に作品を届ける「販促」へのバトントスのタイミングだったと言い換えられる。

だが、「創作」における最後の壁は、最も高く険しかった。初代、2代目の女性、そして現担当の3人の編集者によるエンピツ(朱)入りの原稿計3部を受け取ったのが、2月末。皆、私が全幅の信頼を寄せる敏腕だ。3人の編集者が同時にエンピツを入れるのも前代未聞だが、原稿用紙800枚を超える長編の改稿を「約2週間で戻せ」という指示は、現実離れというより、浮世離れに思えた。

それからの2週間、私は睡眠時間を大幅に削って原稿と格闘するのだが、この間に次女が生まれたのも試練の一つである。妻の入院先へ通い、泣き叫ぶ次女をあやしながら焼き餅を焼く長女の機嫌を取る間も、頭の中は我が子より「テープの子ども」でいっぱいだった。

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