トランプ外交に「一貫性がない」という分析が大間違いである理由

突然のシリア攻撃も、実は筋が通っていた
篠田 英朗 プロフィール

アメリカ政治思想の伝統

トランプが象徴しているのは、東部エスタブリシュメントに対する反エリート主義の大衆運動であろう。アメリカでは、独立時の13州の旧英領植民地のそれぞれの政治体制に大衆民主主義の熱情の弊害があるという考え方が伝統的だ。

独立後しばらくしてようやくつくられた合衆国憲法は、大衆民主主義を抑制する意図を持ったものだ。そこで「アンチ・フェデラリスト」と呼ばれるようになった人々は、合衆国憲法は反動的で独裁につながると主張し、各州での批准に反対した。

アンチ・フェデラリストの反エリート主義的性格は、ジェファソニアン・デモクラシー、ジャクソニアン・デモクラシー、南北戦争前後の人民主権論などに受け継がれた。

トクヴィルが有名な『アメリカのデモクラシー』の執筆に至るアメリカ旅行をしたのは、アンドリュー・ジャクソンが第7代合衆国大統領を務めていた、19世紀前半の「ジャクソニアン・デモクラシー」の時代であった。

ジャクソンは度重なる軍歴で英雄視され、大統領まで登りつめた人物である。彼の軍歴には米英戦争から始まるが、インディアン(ネイティブ・アメリカン)に対する常軌を逸した数々の大虐殺行為も含まれる。

大統領としても強権的なスタイルが特徴的であったが、旧来の東部エスタブリシュメント層の政治家とは異なることそれ自体を売りにして、19世紀に新たに合衆国に加わった西部・南部の入植者層から圧倒的な支持を受けた。

私のみならず、米国内のコメンテーターの中にも、トランプ大統領の政治スタイルを見て、ジャクソンの伝統に思いをはせたものはいた。

 

トランプ大統領に結び付けて、19世紀末の「人民党」による「ポピュリズム」運動が言及されることもある。そもそも「ポピュリズム」という言葉が最初に用いられるようになったのは、19世紀末のアメリカで「人民党(People’s party)が第三党として台頭してきたときだったと言われる。

この新しい政党運動は、独立自営農民が多かった移住者の「農本主義的ポピュリズム」が基盤であった。ただし人民党は、連邦議会で存在感を示すことができないまま、埋没していった。人民党の大統領候補だったウィリアム・ブライアンが民主党に取り込まれたからだ。

ブライアンは二度の大統領職への挑戦で、共和党のウィリアム・マッキンリーに敗れた。マッキンリーは57%という高率輸入関税を導入して国内産業の保護に努めながら、対外的には米西戦争を行ってフィリピンを併合し、ハワイ諸島も併合した大統領である。

マッキンリーが暗殺されたため、副大統領から昇格して大統領に就任したのが、ニューヨーク出身のセオドア・ローズベルトである。

カウボーイ・スタイルと「棍棒外交」と呼ばれた威圧的な外交政策で有名なT・ローズベルトは、内政面では1000回以上の大統領令を出しながら、巨大資本を統制し、国民の福祉を進めるために連邦政府の強化に努めた「進歩」を掲げた大統領であった。「人民党」が夢見た大衆支持は、T・ローズベルトによって果たされたと言える。

古典的にはアンドリュー・ジャクソン、そうでなければセオドア・ローズベルトの伝統との比較で、トランプを論じるのが妥当ではないか。

自由貿易の万能性を否定し、マイノリティを差別的に扱い、人権規範の普及などには興味を示さず、なお「テロとの戦争」だけは徹底的に遂行するつもりで軍拡に乗り出す大統領は、20世紀後半の大統領たちと比べれば、異常に見える。

だがそれはアメリカの政治思想史の中で「ジャクソン」や「T・ローズベルト」などの大統領が象徴する伝統と比せば、決して特異ではないものとして見えてくるだろう。