いま、滋賀県でもっとも人が集まる観光スポットは、なんと菓子屋だという。創業1872年(明治5年)、近江八幡市にある「たねや」だ。
仕掛け人は、同社4代目・山本昌仁社長(47歳)。修業中だった24歳のとき、第22回全国菓子大博覧会の最高賞・名誉総裁工芸文化賞を受賞、今は町おこしの音頭を取る人物だ。
【命】
子どもの頃から絵画やデザインを楽しむことが好きでした。「和菓子を通して自分の思考を表現できるのか!」と感じたのは高校生のとき。父にたねやを継ぎたいと話すと、「なら決算書の読み方を学べ」といったことは言われず、当時18歳だった私にお菓子屋で修業するよう言いました。
鞄持ちから始まった約10年の修業でもっとも印象に残ったのは、師匠から「オマエの命はなんや?」と質問されたこと。続けて師匠に言われた「どんだけ遊んでもいい。オマエの給料や。でも、お菓子の道に背くことだけはするな」という言葉が今の商いに繋がっています。
【本】
私は「本」がつく言葉が好きです。
まずは「本質」。以前、明治時代のレシピで栗饅頭を作ってみたら、食べられないほど甘かった。時代が変われば、味覚も変わります。だから、残すべき伝統と、変えていくべき文化の両方を考えることが大切です。そもそも、変わっていくから、伝統を上回るものができるんです。
また当社店舗に支店はなく、すべてが「本店」です。渋谷の店には、東急百貨店を訪れるお客様だけに向けたお菓子があります。「支店」と考えていたら本店を超える店はできません。
【道】
商いの道は、人の道です。
近江八幡の観光地にもなっている、当社の「ラ コリーナ」は、売り場より、景色を楽しみながら散歩する空間のほうが広いんです。経済効率を優先するのでなく、季節を楽しんでいただいた上で「じゃあ団子でも」と考えていただくほうが人の道にかなっており、長い目で見れば、ブランドが100年、1000年続く礎になるはずです。
接客も同じ。当社は百貨店さんに出店しても、販売は自社の人間が行います。昔の和菓子屋は、奥でお父さんが作り、表で奥さんが売る、といった形でした。これが理想で、極端に言えば言葉遣いなどどうでもいい。
作り手の思いを熟知し、自分の言葉で「お客様にはこのお菓子が……」などと言えるのが「本当」の接客です。
【生】
よく海外に行きます。イタリアでオリーブオイル、ワインの生産者と会ったときのことです。彼の祖先は広大な土地を持ちながらも街をつくらず、オリーブと葡萄の畑にした人物らしい。
畑はしっかり管理され、地面には肥料として必要なだけの落ち葉が残っていて、生産方法は完全オーガニック。そのオイルをドバッとかけたパンを食べると、私は「うわあ!」と「本物」の力に胸打たれました。
そして帰国後、オリーブオイルをかけて食べる大福を作ったのです。これが遊びか仕事かと言われれば、どちらも違って、「生きること」に近い。私はお菓子の道に進んだ人間。オフタイムなどなく、見聞きした景色、出会ったもののすべてがお菓子につながります。