いじめ、不登校、諦め…原発事故で故郷を奪われた子どもたちのその後

6年ぶりの一時帰宅に密着
大野 太輔 プロフィール

ノスタルジーから遠く離れて

子どもたちの身体への影響を考慮し、「5時間以内」に制限されている一時帰宅。

その短い時間のあいだに、少女たちは自分たちの故郷が想像以上に変わってしまったことを目の当たりにする。

慣れ親しんだ学校や児童館、図書館、そして自宅。長年無人のまま放置された家屋は崩れ始め、イノシシやネズミが荒らし回り、そこらじゅうに動物の毛やフンが散乱している。変わり果てた姿に声をあげて驚く子もいる。

同時に、子どもたちは思いがけず、この6年間で自分自身も成長して変わったことに気づかされる。「思ったより道が狭い」「建物が小さく見える」。

大人になってから母校の小学校を訪ねると、校庭がぐっと小さく感じられるように、福島の子どもたちも、自分の体が大きくなったからこそ感じられる、慣れ親しんだ風景への違和感を口にした。

今年一時帰宅した子どもたちは、原発事故発生当時、9歳。故郷はおぼろげな記憶のなかの存在になりつつある。それでも、かつて遊んでいた公園や大好きだった漫画、児童館で見つけた懐かしい友人の名前に、次々と記憶が鮮明に蘇ってくるようだった。

しかしそのうち、多感な時期の彼女らは、ノスタルジーのような甘い感情だけでなく、思い出を奪い去った不条理な現実に向き合い始める。

大切な家族、大切な場所が荒れ果ててしまった現実を前に、少女たちははっきりとした言葉では表現はしないものの、何かを感じ、その表情で、姿で、何かを訴えていた。

(c)NHK

あの日、子どもたちは何が起こったかも知らないまま避難を始めた。多くの大人がそうであったように、またすぐに戻って来られると思っていたかもしれない。

ところが現実にはその日を限りに、当たり前だった日常から切り離され、二度と同じ暮らしが戻って来ることはなかった。

そこから先、それまでとまったく異なる新たな人生を生きた15歳が、また突如として流れ去った時間の重みと向き合うことになるのが、この「一時帰宅」でもあるのだ。

「宿命だから、受け容れるしかない」と少女

福島で取材していると、子どもたちがとても真面目で大人びていると感じる。「将来の夢は故郷の復興にたずさわること」と、みな当たり前のように話す。それはもちろん、一面ではとても素敵なことなのだが、同時にどこか息苦しく、切なさを感じてしまう。

荒れ果てた郷土、苦境にあえぐ人びと、解決の糸口さえ見えない課題の数々を見るにつけ、私たち大人は「子どもたちは希望」とか「未来を担うのは若い世代」とつい口にしてしまう。そして、そうした大人たちの「期待」や「願望」を、子どもたちは敏感に感じ取っている。

「原発事故が子どもたちに背負わせてしまったもの」は、今回の企画の大きなテーマであり、取材を進める出発点だった。その文脈で言うと、震災と原発事故が子どもたちから奪ったもののひとつは、ある種の「朗らかさ」や「子どもらしさ」だと私は感じている。

 

番組には、「将来は故郷の復興にたずさわる仕事につきたい」という子や、「(反抗期がなかった自分は)理想の子でしょ?」と父親に話しかける子が登場する。否定すべくもない、素晴らしいことだ。ただ、同時に彼女たちはカメラに向かって、大人や社会に対して「失望」や「諦め」も語る。

少女の一人は、原発事故に伴う引っ越しが6度にわたり、そのたびに新しい環境になじもうと必死で努力した。親も心の病に苦しんでいたから、甘えることも不満ひとつ言うこともなかった。彼女は「宿命だから、受け容れるしかないですよね」とこともなげに言う。

その言葉を聞くとき、原発事故がなければ、彼女たちにはもっと無垢で穏やかな時間があったのではないかと考えてしまう。実際、一時帰宅したときの少女たちは、ある瞬間、とても無垢に見えた。