「兄は失恋で涙を流す、繊細な男」ドゥテルテ大統領・妹の告白

家族だけが知る素顔とは
水谷 竹秀 プロフィール

父親が激怒しプチ家出

第二次世界大戦中の1945年3月に産まれたドゥテルテ大統領は、5人兄弟の上から2番目で、ジョセリンさんはすぐ下の3番目である。父親が州知事、母親が小学校の教師という環境で育った。

「祖母の家に行った時、兄はマンゴーの木によじ登って転落し、何針か縫う大けがを負ったこともありました。向こう見ずなところがあります」

それは20代後半のことだった。元々はパイロットになることを夢見ていた大統領は、無事に操縦士の資格を取得したのだが、テスト飛行の際、プロペラ式軽飛行機で自宅二階の高度まで低空飛行を試み、父親に激怒された苦い記憶があるという。

「兄は『ヘイ、俺はここにいるぜ』と操縦席から窓越しに呼び掛けてきたんです。まさか父親が家の中にいるとは思っていなかったらしく、父親の激怒を知ってから、兄はしばらく自宅に帰ってきませんでした」

結局、彼は視力が悪かったため、操縦士という夢を叶えることはできなかった。

 

飛行機の操縦に加え、射撃も大統領の趣味の1つだ。これは州知事だった父親のもとに配備された警備員とよく一緒に遊んでいたことが影響しているという。フィリピンで警備員と言えば、庶民、もしくは貧困層が就く仕事というイメージが定着している。警備員に囲まれた環境は大統領にとって、庶民感覚を培わせる要因にもなったようだ。

ダバオ市の閑静な住宅街にある大統領の自邸には毎日、全国各地から観光客が見学に訪れるが、その質素な家を見て彼らは口々にこう感想を漏らす。

「ドゥテルテは歴代大統領と異なって庶民に近い」

緑色に染まった2階建てのその民家には、お世辞にも「富裕層」と呼べる瀟洒な佇まいは感じられない。これが一般大衆との距離を縮めているのだ。

ダバオ市の閑静な住宅街にあるドゥテルテ大統領の自邸は今やフィリピン全土から来る観光客のたまり場になっている(筆者撮影)

強面大統領も女性にはピュアな一面

マニラの私立大学を卒業後、法律を専攻していたドゥテルテ氏は弁護士試験に合格し、地元ダバオ市で検察官を務めた。1986年に政界入りしてからはダバオ市の副市長になり、その2年後に市長へと駆け上がる。

米国のハーレーダビッドソン社製の大型バイクにまたがり、街を走り回る威風堂々たる姿は一般的な市長のイメージを覆した。時速140キロを出すほどのスピード強で、市長に就任して間もない頃、自動車と衝突する事故に巻き込まれ、肋骨を骨折する重傷を負ったという。

ダバオ市は1980年代以降、中国系フィリピン人のビジネスマンを標的にした誘拐や麻薬密売事件が多発し、共産党の軍事部門、新人民軍(NPA)と国軍の戦闘地域と化すなど治安は極めて悪かった。そこでドゥテルテ市長は特殊警察部隊を編成し、犯罪組織を一掃して治安の劇的な改善に成功した。これが、大統領がいまも市民から信頼を得ている所以だ。

密売犯の射殺、暴言、スピード強、射撃、高校退学処分・・・・・・。これらの言葉からはやはり「強面大統領」という印象を受けるだろうが、ジョセリンさんによると、女性が相手となるとどうやら別の顔を見せるようだ。