元西武「左のエース」帆足和幸が選んだ「バッピで燃え尽きる」人生

通算90勝、日本シリーズでも大活躍
週刊現代 プロフィール

考えて考え抜いた現役時代

「球団に話をもらってから、家族に相談してすぐに了解しました。もっといい仕事? ぜんぜん考えなかったですね」

球界において、FAで移籍するだけの成績を挙げた選手が、バッティングピッチャーになるのは、極めて稀なことだ。

帆足が挙げた勝利は通算90勝。100勝には及ばなかったとはいえ、本来なら解説者や評論家として生きていける実績。少なくとも、肩を酷使するバッピの仕事を務めなければ食べていけない「格」の選手ではない。

迷いはなかったのか。

「正直、ピッチャーって『俺が、俺が』って感じじゃないですか。でも、現役を退いたら、そういうプライドに意味はない。それに、違う角度から野球を見て、またゼロから勉強してみたくなったんです。

そもそも、僕は野球の名門校を出ているわけではないし、社会人で地道に3年やってようやくプロ入りした人間。大した人間じゃないから、努力しないと」

中学高校と地元の公立に進学した帆足には、甲子園の出場経験はなく、高校卒業後は九州三菱自動車の野球部に進んだ。

「高校時代に、手が小さくてフォークが投げられないという理由で覚えたパームボールが社会人でもそれなりに通用して、徐々にプロを意識するようになりました。

3年目になって、『今年やれるだけのことをやって、それでプロに進めなかったら諦めよう』と決めました。昼は営業をこなしながら、夜はジムに通いつめて毎日ウエートトレーニングをして、体重を増やした」

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'01年にドラフト3位で西武に入団。飛びぬけて体格が良いわけでも、150kmの速球が投げられるわけでもない帆足がプロの世界で15年にわたって現役を続けることができたのは、試行錯誤の末に身につけたサバイバル技術の賜物だった。

帆足がキャリアハイとなる13勝を挙げた'05年、西武の投手コーチを務めていた荒木大輔が言う。

「子供の手本になるような本格派のフォームではないし、球筋もきれいではない。ストレートにしろ、代名詞のパームボールにしろ、すべてのボールが微妙に動く。一言で言えば、『ぶきっちょな子』なんです。

でも、帆足はそういう人とは違う部分をどうやって活かすかを、頭を使ってよく考えていました。『自分の能力を把握し、生き残るためのベストな戦略を練る力』は、プロの投手に不可欠なもの。それが彼には人一倍備わっていた」

現役時代、帆足はとりわけ楽天戦を得意としていた。対戦成績は通算で16勝9敗と勝ち越し、「カモ」にしていた。