未だ見つからない遺体と、残された家族が直面する厳しい現実

ルポ・東日本大震災から6年
石井 光太 プロフィール

「遺体の見つかっていないご家族が直面する現実は本当に厳しいですね。ご家族は遺体が見つかっていないのに、自らの手で死亡届を出さなければならないのです。骨壷に遺骨を納められないので、代わりに服やメガネといった遺品を入れるしかない。

うちの檀家さんで月命日にかならず手を合わせに来る御夫婦がいます。亡くなった息子さんはまだ見つかっておらず、6年経っても受け入れられないっておっしゃっていますよ」

しかし、こうした家族も生きていかなければならない。では、彼らは深い悲しみを抱えながら、家族の死をどのように受け入れているのだろうか。

私が聞いた話を2つ紹介したい。

 

お墓の花

漁師のDさんは、津波で妻を失った。自分はかろうじて高台に登って助かったのだが、妻は自宅から逃げる途中で波に飲まれてしまったのだ。近所の知人がそれを目撃していた。それでもDさんは妻の死を認められずに避難所を回った。

しばらくして周囲に説得される形で、遺体安置所へ行くようになった。だが、そこにも妻の遺体はなかった。いつか発見されるにちがいない。そう思って通ったが、閉鎖されるまで見つからなかったのである。

1年が経った。親戚からは、早く葬儀をしてあげろ、と言われた。だが、遺骨も見つかっていないのに葬儀をする気になれなかった。震災の年の夏に死亡届を出した時にも感じたが、葬儀をすることは妻をこの手で殺すことのように思えたのだ。

2年目の夏、Dさんは実家の墓に先祖のお参りに行った。すると、お墓に大きな百合の花が供えられていた。それは、妻が好きでよく家に飾っていた花だ。一体、誰が持ってきたのだろう。その時、Dさんはふと思った。

photo by iStock

――もしかしたら妻がそろそろ葬式をしてくれと言っているのではないか。それを僕に気づかせるために、彼女は百合の花を墓に置いたんじゃないだろうか。

Dさんはそう考えると、妻のためにきちんとした葬儀を上げてあげようと思った。そしてその年の秋、骨壷に妻の写真と髪留めを入れて葬儀をしたのである。

イタコの口を借りて

Eさんが震災で失ったのは祖父だった。当時、彼女は仙台に暮らしていたので無事だったが、石巻にいた祖父が津波に飲まれてしまったのだ。

Eさんはおじいさん子だったこともあり、母親や叔父と一緒に探しつづけた。だが、遺体は見つからず、わかったのは、祖父が津波直前に車で沿岸近くを走っていたということまでだった。後日、潰れた車だけが見つかった。

震災から1年が経って葬儀が行われた。Eさんは葬儀が終わった後も、警察のホームページの遺体情報を確認したり、休暇の度に石巻に帰って手がかりを探したりした。

家族はEさんを心配して、もう捜すのはやめなさい、と助言した。もう震災に引きずられることなく自分の人生を生きてもらいたかった。彼女は聞く耳を持とうとしなかった。

2年半が経ったある日、Eさんは友人からイタコの話を聞いた。亡くなった人の魂を下ろしてくれるのだという。彼女はイタコを介してでもいいから祖父と話がしたいと思って、行ってみることにした。

イタコは祖父の魂を下ろした。祖父はイタコの口を借りて言った。

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