野村證券・元トップセールスマンが明かす「バブルの狂騒」

兵どもが夢の跡…
横尾 宣政 プロフィール

ところがこのスキームに不審の目を向けて調査していた東京国税局は、昭和シェルに対する損失補填だったと強引に認定。野村側は「補填行為ではない」と強硬に主張したものの、追徴課税だけでなく、マスコミにリークまでされてしまいました。いわゆる「第1次証券不祥事」の勃発です。

あれが日本の株式市場の一大転換点でした。その後の25年余りで、ニューヨーク市場のダウ平均株価が約10倍に上昇する一方、日経平均株価は'89年末の最高値の半分ほどの水準で低迷している。

これは証券不祥事のあと、営業マンが銘柄を推奨することを規制され、自分の意思ではなかなか銘柄を選べない日本人投資家が株を買わなくなったことが原因です。

あの時、国税当局が損失補填などと強引に認定しなければ、日経平均は今ごろ、4万円を軽く超えていたでしょう。

それにしても当時の野村叩きの勢いはすごかった。支店にバキュームカーで突っ込んだり、本店営業部にピストルを乱射しながら飛び込んできたりする人たちまでいた。役員は公の場に出る際、防弾チョッキを着用していたほどです。

私自身、銀座の電話ボックスで電話をしていて引きずり出されたことがあります。野村の社章が見えたのでしょう。本社からは「社章を外せ」と指示が出されましたが、私は意地でも外しませんでした。

ブラックマンデーで巨額の損失を抱えた会社にオリンパスがあります。私は当時、ワラント(新株予約権)と鉄鋼株を使って、この損失をすべて穴埋めしました。これによってオリンパスの資金運用の責任者だった山田秀雄氏は私を頼るようになり、私はその後の粉飾決算事件に図らずも巻き込まれてしまいました。

オリンパスが粉飾決算事件の際に設置した第三者委員会や東京地検特捜部は、私がオリンパス側から巨額損失の存在を聞かされ、その解消に協力するよう依頼されて、海外のプライベートバンク(PB)の紹介やベンチャー企業株式の売買を行ったという荒唐無稽なシナリオを描きました。

そして'11年11月、私は1回目の事情聴取を受けたのです。

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そして、逮捕

初冬の寒い日でした。担当検事は暖房を入れることも、私がコートを着ることも認めず、丸めた紙で机を叩きながら、「オレたちはお前らのような金持ちじゃない。貧乏人だから暖房も入れられない」と怒鳴る始末。その後も、ずいぶんと的外れの聴取が続きました。

結局、私は'12年2月16日、オリンパスの菊川剛・前会長兼社長や山田氏らとともに金融商品取引法違反などの容疑で逮捕・起訴されました。

その後も詐欺容疑で再逮捕・起訴され、さらに'13年6月には組織犯罪処罰法違反(マネーロンダリング)容疑で再々逮捕・起訴されましたが、いずれも私にはでっち上げとしか思えないものばかり。

最後まで罪を認めなかったため、1審の証人尋問がすべて終わるまで、東京拘置所に966日も勾留されてしまいました。

 

1審判決、2審判決ともに有罪でしたが、その判決は多くの矛盾に満ちています。とりわけ重大なのは、私が損失隠しに関わったことを示す証拠はない一方で、関わっていないことを示す証拠がたくさん存在することです。

例えば送金の指示書などで、PBの社員が私に黙って私の名前を書類に記入し、しかもその社員の名前はそこに記されていないといった「偽筆」が多数見つかっています。しかもその社員は証人尋問で偽筆を認め、「PB側にバレていればクビだった」と話しています。

ところが検察側はあくまでも「代筆」と言い張る。もし、このような書類を証拠として認める判決が確定してしまえば、今後はあらゆる商取引で署名の効力が無に帰してしまいます。

このほか、オリンパスが決算の粉飾に利用するために売買したベンチャー企業3社の株を、第三者に販売したことについて、詐欺罪に当たるとされています。しかし私はそもそも、オリンパスが損失隠しや粉飾決算を行っていたこと自体を知らない。

仮に知っていたとしても、M&A(企業の合併・買収)や未公開株の相対売買では、投資の判断に必要な情報の開示を求めるのはあくまでも買い手側。売り手側は求められてもいない情報を自ら開示する必要はありません。

もし売り手側に一方的に責任を押し付ける判決が確定すれば、日本でM&Aを行う企業はなくなり、未公開株の売買はなくなるでしょう。ベンチャー・キャピタルの存在も難しくなるでしょう。この事件の公判は日本経済の行く手に重大な問題を突き付けているのです。

日本の刑事裁判の無罪確率はわずか0.1%。でも私は1000分の1の確率に賭けて、最後まで全力で戦います。

『野村證券 第2事業法人部』(講談社刊) 1800円(税別)
横尾宣政(よこお・のぶまさ)
54年兵庫県出身。'78年に野村證券に入社。'98年に独立し、コンサルティング会社を設立。オリンパス粉飾決算事件の指南役とされ、詐欺罪などにも問われたが、一貫して容疑を否認。現在、最高裁に上告中

「週刊現代」2017年3月11日号より