津波で亡くなった母の遺体は、別人のものだった

ルポ・東日本大震災から6年
石井 光太 プロフィール

かき乱された遺族の心

この話からわかるのは、震災の直後、どれだけ遺族が混乱していたかということだろう。

拙著『遺体 震災、津波の果てに』でも描いたが、震災の後に遺体安置所に集まった人々は誰ひとりとして平常心ではいられなかったはずだ。ある者は遺体にしがみついて慟哭し、ある者は魂が抜けたように呆然とたちすくみ、ある者は「なんで死ぬんだ!」と怒りをあらわにしていた。

拙著の取材で話を聞いた人は、こう語っていた。

「あの時は、ずっと宙に浮いているような感覚でした。しゃべったり、見たり、聞いたりしているんですが、すべて遠くで起きている出来事みたいだったんです。現実のことが受け入れられなかったんでしょうね」

多くの遺族はA子さん家族のように遺体安置所に置かれた遺体に会いに来ていた。死化粧をしたり、指輪を外してあげたり、服を着せてあげたりしている光景もたくさんあった。傍から見るかぎりでは、死を受け止めてできるだけ気持ちを抑えて向き合っているように見えた。

だが、遺族の心は他人にはわからないほど、かき乱されていたのだろう。A子さん一家が毎日遺体と対面していても他人を母親と認識してしまったように、目の前の人が誰だかわからないくらいの混乱が生じていたのかもしれない。それが遺体の取り違いという出来事を生んでしまったのだ。

こういう事態が起きてしまったのは、震災後すぐに見つかった遺体に関しては、DNA型鑑定をせず、遺族がそれと認めた遺体を引き渡していたためだ。警察にしても、まさか家族がきれいな遺体を見間違えると思わなかったのだ(遺体が傷んできてからは、DNA型鑑定によって身元を確認してから引き渡すようになった)。

 

私は一概に警察の過失だというつもりはない。むろん、遺族の注意不足を指摘するつもりもない。

重要なのは、こうした非常時では、A子さん一家のようなまさかと思う出来事が起こりえるということだ。それをきちんと想定した上で、遺体の引渡しを行わなければ、取り返しのつかないことになることもある。

A子さんは語っていた。

「母に申し訳ないという気持ちもありますが、それとは別に、取り違えてしまった遺体のご家族に対してもすまない気持ちでいっぱいです。私たちが間違えてしまったことで、そのご家族は1年以上もご遺体と対面することができなかったのですから」

こうした遺族の言葉を、しっかりと教訓として胸に刻んでおかなければならないだろう。

悲しみの底に引きずり込まれそうになりながらも、犠牲者を家族のもとへ帰したい一心で現実を直視し、死者の尊厳を守り抜く。知られざる震災の真実を描いた渾身のルポルタージュ。

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