津波で亡くなった母の遺体は、別人のものだった

ルポ・東日本大震災から6年
石井 光太 プロフィール

遺体安置所で母親と対面

震災後すぐにB市の実家へもどった。そして父親と一緒に遺体安置所へ行ってみると、母親の遺体が横たえられていた。遺体の数が膨大であるため、火葬まで順番待ちをしなければならず、しばらく遺体安置所に置かれることになっているという。

父親、A子さん、C男さんは毎日のように遺体安置所へ赴き、母親に対面した。冷たく薄暗いところに何日も置かれているのがしのびなかったのである。

3人は遺体のそばにしゃがみこみ、体についた砂を拭き取り、頬や手のひらをさすり、顔を見て話しかけた。火葬の日まで、できるだけ長い間近くにいたかった。

それからしばらくして、火葬の順番が回ってきたことを教えられた。ついにお別れの時がきたのである。A子さんは家族みんなで最後のお別れをして、火葬場へと運んだ。

母親の特徴と一致する別の遺体

火葬の後、母親の遺骨はお葬式をしてから、市内にある先祖のお墓に納められた。

父親は実家に留まり、A子さんは内陸の家へもどり、C男さんは他県の家へもどった。そして震災後の生活をスタートさせたのである。

ところが、それから1年以上経って、A子さんのもとにC男さんから連絡があった。彼はこう言った。

「姉さん、県警のホームページを見ていたら、母さんの特徴と一致する遺体の情報が掲載されているんだ。どういうことなのかな。ちょっと確認してくれないかな」

県警のホームページには、新たに見つかった遺体の特徴や遺品が細かく掲載されていた。

A子さんがそのホームページを確認したところ、たしかに母親と一致する遺体があった。体の特徴はすべて母親と同じだし、身につけていたとされる遺品も母親のものにちがいない。一体どういうことだろう……。

A子さんは実家の父親にも説明をした上で、県警へ連絡して相談をした。その結果、DNA型鑑定をしてみようということになった。そして家族全員分のDNAを採って検査をしてもらったところ、驚きの結果が出た。

 

県警のホームページに掲載されていた遺体こそが、母親だったのだ。つまり、自分たちが母親だと思って納骨した遺体は、まったく別の女性だったのである。

A子さんは、愕然とした。

父親は、流されて間もないきれいな遺体を見つけ、身元確認までしたはずだ。A子さんも、C男さんも震災後すぐに遺体安置所へ行って遺体を確認し、毎日顔をふいたり、話しかけたりしてきた。

最後は、柩に入れて顔を見てお別れもした。

それなのに、家族3人が、別人を自分の母親と見間違えていたなんて……。

A子さんはこう語っていた。

「母には申し訳ない気持ちでいっぱいです。母一人が苦しんで亡くなった。それなのに、自分たちは母と別の女性との区別さえつかずに埋葬してしまったんです。その間、母はずっと一人ぼっちで寂しい思いをしなければならなかった。悔やんでも悔やみきれません」

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