「東日本大震災で死んだ家族の遺体がまだ見つかっていないんです。ふと思うんです。もしほかの家族が自分の肉親の遺体だと間違えて葬っていたらどうしようって……。
あの時、遺体安置所に並べられていた遺体の中に傷んで誰が誰だか判別がつかない方が多かったからでしょうか、ふとそんなことを考えてしまうんです」
東日本大震災の遺族の1人にそう言われた時、私は心臓が止まるほど驚いた。なぜならば、私自身、実際に遺体を取り違えたという人物に出会ったことがあったからだ。そして、他にもわかっているだけで数件起きている出来事なのである。
ある家族が、別の人を自分の家族だと間違えて葬ってしまう――。
どうしてそういうことが起きたのだろうか。
私がその家族に会ったのは、震災から2年目のことだった。
私は震災の年に岩手県釜石市の遺体安置所を長く取材し、『遺体 震災、津波の果てに』(新潮文庫)という本を上梓した(後に『遺体 明日への十日間』として映画化)。その読者であるA子さんからしばらくして連絡をもらい、三度お会いして話を聞いたのである。
震災当時、A子さんは30代だった。すでに実家のある海辺のB市を離れ、車で1時間ほど離れた内陸の町で働いていた。
3月11日の震災後、大津波が故郷のB市を襲ったと知った時、家は少し海から離れていたので大丈夫だろうと思っていた。だが、後で父親からこう聞かされた。
「たまたま、海の方の町に出かけていて、津波に飲まれた。俺は助かったんだけど、母ちゃんがダメだった」
その日、父親と母親は車に乗って、海の近くにある町へ出かけていたそうだ。運悪く、そこで地震が起きて津波が押し寄せてきたのである。
父親は間一髪のところで建物にのぼって一命を取り留めた。しかし、母親は波に飲まれて流されてしまった。津波がおさまり、父親は建物から降りてがれきの中を歩き回って母親を探した。
すると、すぐ近くでずぶ濡れになった彼女の遺体を見つけた。体には、特別大きな傷はなかった。だが、すでに息はしておらず、死んでいることが確実だったため、遺体安置所に運ばれることになった。
父親は肩を落とし、内陸の町に暮らすA子さんと、他県で働いていた息子のC男さんにそのことを報告したのである。