「軍歌を歌う幼稚園」森友学園の愛国教育は、戦前だったら不敬罪!?

なんともトホホな戦後的光景
辻田 真佐憲 プロフィール

「戦前っぽいもの」のパッケージを解体せよ

もとより、教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

では、「軍歌を歌う」式の愛国教育でこの問題に対応できるのかといえば、はなはだ心もとない。「戦前っぽいもの」のパッケージは、いまやなき保革対立時代の産物だからである。

もはや、かつてのバランサーとしての革新勢力の再興はむずかしいだろう。

そこで必要なのは、「戦前っぽいもの」のパッケージを解体し、ひとつひとつ検証して、使えるものは使い、捨てるべきものは捨て、再構築を行うことであろう。軍歌はどうか、「君が代」はどうか、「教育勅語」はどうか――、と。

現代ビジネスの拙稿では、すでに「君が代」と「教育勅語」の意味や歴史について詳しく検討してきた。

・日本人にとって「君が代」とは何か? ネットにあふれるトンデモ解釈
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48225
・「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50764

「君が代」は、これからも国歌として使用するべきである。ただし、「歌うか、歌わないか」と踏み絵のように使うべきではない。万人に受け入れられやすい「聴く国歌」が落としどころではないかと思われる。

「教育勅語」は、復活させるべきではない。発布直後から問題点が指摘されており、今日の複雑化した社会ではとうてい使用に耐えない。部分的に評価できるところがあるのならば、別の文書を用意するべきである。

修身(道徳教育)や靖国神社(戦没者慰霊)などについても、個別に検討されなければならない。パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

もう一度繰り返せば、「軍歌を歌う」式の愛国教育は、「戦前っぽいもの」をカット・アンド・ペーストした「二次創作」である。それはイメージと異なり、戦後民主主義に依存し、保革対立を前提としたものであった。

したがって、これからの時代に対応するためには、「戦前っぽいもの」のパッケージを解体し、国民国家に関する教育の再構築を行わなければならない。

戦前の模倣やネタでさまざまな教育問題が解決するのであれば、こんな楽なことはない。だが、そんなうまい話があるわけがない。「軍歌を歌う」式の愛国教育を評価するものは、そろそろ目を覚ますべきである。