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なぜ音楽の「天才」は東京藝大を頂点とする秩序から排除されるのか

話題の小説が意図せずに告発!?
中川 右介 プロフィール

1月に、クラシック音楽の最高峰で活躍している人々のエピソードをまとめた『現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才』(幻冬舎新書)を上梓した。

音楽教育論の本ではないのだが、「音楽を誰かから学ぶ」とはどういうことなのかを考える手がかりを散りばめたつもりだ。

指揮者やヴァイオリニストやオペラ歌手も出てくる本だが、ピアニストのエピソードをいくつか紹介しよう。

当代一のピアニストといえば、マウリツィオ・ポリーニとマルタ・アルゲリッチであろう。ポリーニは1960年に、アルゲリッチは65年に、ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。

そしてこの二人の「師」とされるのが、やはり20世紀のピアニストのなかでトップ10に入るクラスの、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリだ。

ところが、この三人の演奏はまるで違う。

師と弟子も違えば、弟子同士も違うのだ。師弟といっても、「こう弾け」とか「こう解釈するのが正しい」とか、そういうものを伝授する関係ではない。

アルゲリッチはイタリアのミケランジェリのもとに一年半ほどいた。それなのに彼がレッスンをしたのはわずか4回。

このことについてミケランジェリは「静寂の音楽」を教えたかったからだと、禅問答のようなことを言っている。

これ以上ここにいてもしょうがないと思ったのか、アルゲリッチはその後、アメリカへ行く。彼女が憧れているピアニスト、ヴラディーミル・ホロヴィッツに弟子入りしようと考えたのだ。

アルゲリッチがホロヴィッツのもとへ行ったのは、彼女が最初にレコードを出した時、何の面識もないのにホロヴィッツから賞賛の手紙が届いたからだった。それでアルゲリッチとしては、この人のもとへ行って教えてもらおうと思ったわけだ。

しかし、ホロヴィッツという世界最高のピアニストは、弟子をとらないことでも知られていた。アルゲリッチも、結局、会うこともできなかった。

だが、それで恨みに思うことはない。

ホロヴィッツはめったに演奏しなくなっていたが、アルゲリッチはスケジュールの都合がつく限り、ホロヴィッツのコンサートへ行く。そして楽屋を訪ねることもあったが、それ以上の関係にはならない。

一度もレッスンをしなくても、この二人も師弟関係にあると言ってもいい。

アルゲリッチは何かをホロヴィッツからも学び取っているのだから。

 

そのアルゲリッチが師となることもある。

フランス出身のエレーヌ・グリモー(1969~)は、この年代のピアニストとしては珍しく有名コンクール出身ではない。パリ音楽院に入学したが、そのシステムに馴染めず、指導教授とも対立して音楽院をやめてしまった。チャイコフスキー・コンクールでは入賞もできなかった。

それでも17歳でプロとしてデビューするのだからスゴイが、その後も協奏曲のコンサートに出演した際、巨匠指揮者バレンボイムと対立する。

壁にぶつかった彼女を迎え入れたのが、アルゲリッチだった。

ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが主宰する音楽祭にグリモーが呼ばれ、そこでアルゲリッチと出逢い、「直感の生命力」を学んだという。そしてクレーメルからは「譜面上での知的な練習」を学んだ。

おもしろいのは同じピアニストのアルゲリッチからは精神的なことを、ヴァイオリニストのクレーメルからは具体的な練習法というかアプローチの仕方を学んでいることだ。

このように、世界のトップクラスの音楽家たちのエピソードには、専業の教師から学ぶことよりも、音楽家同士の交流から学び取ったことのほうが多く出てくる。

単純に、そういう話のほうが面白いからでもある。

だが、「音楽を学ぶ」ことには、日常的な練習とか教育とは違う次元のものがあり、そこに到達した者だけが、世界最高峰の演奏家になれる。

音楽院や教師不要論を展開するつもりはないが、結局、天才同士にしかわからない世界があり、そうやって認め合う者たちによって、クラシック音楽の最高峰という世界は作られているのだ。

蜜蜂と遠雷』が描く「若い天才たちが知り合うことで刺激を受けて成長していく物語」は、いかにも作り物めいているように思うかもしれないが、かなりリアリティを感じるのだ。