世紀のゲノム編集技術「クリスパー」、その特許紛争の気になる結果

なぜオリジナルの考案者が敗れたのか
小林 雅一 プロフィール

「何」のDNAを書き換えたのか?

従って今回の特許裁判(再審査)の最大のポイントは、ダウドナ陣営による特許申請の内容(つまり彼女たちが開発したクリスパー技術)とジャン陣営による特許申請の内容(彼らが開発したクリスパー技術)が本当に同じものなのか、ということになる。

この点になると、ダウドナ陣営は劣勢に立たされた。ここではクリスパーによるゲノム編集、つまり「DNAの書き換え」の対象となるものが問題になる。

実は前出の2012年の論文では、この点が曖昧にぼかされている。この論文には、彼女たちが開発したクリスパー技術によって「DNAを書き換えることができた」とあるが、「一体それがどんな生物のDNAなのか」は全く記されていないのだ。

たとえば動植物のような「真核生物(細胞内にある核の内側にDNAが格納されている生物)」のDNAなのか、それともバクテリア(細菌)のような「原核生物(核を持たないため、細胞質に直接、DNAが格納されている生物)」のDNAなのか、あるいは人工的に化学合成されたDNAなのか、いろいろな可能性があるが、2012年の論文では、そのいずれであるかが明記されていない。

おそらくダウドナ氏らは意図的にそれを曖昧にしたと思われる。

実は彼女たちが開発したのは、「(試験管内に抽出された)バクテリアのDNA」をクリスパーでゲノム編集する(=書き換える)技術だった。

彼女たちが、この段階で研究成果を科学論文にして発表したため、(おそらく)これを参考にジャン氏の研究チームは「人やマウスをはじめとする生きた動植物(真核生物)」のDNAをゲノム編集できるクリスパー技術を開発したのである。

 

「バクテリア」は便宜的な手段に過ぎなかった

ダウドナ氏らが何故、自らの論文の中で「バクテリア(細菌)のDNA」ということを明記せず、あえて単に「DNA」と記したのか、その理由は改めて言うまでもない。

バクテリアのDNAをクリスパーで書き換えたところで、それだけでは社会的には、ほぼ何の役にも立たないからだ。

むしろ様々な動植物(真核生物)のDNAを書き換えることができた時点で、それは漸く(医療や新薬開発、あるいは農畜産物の品種改良など)本当に社会に役立つ技術になる。

しかし、いきなり最初から、動植物のDNAを改変するのは無理があるので、とりあえずは(操作が容易と見られる)バクテリアから分離されたDNAをクリスパーで書き換えてみた。これに成功したので、次はいよいよ(人間を含む)動植物の細胞内にあるDNAで同じことをやろうとしたが、こちらの方ではジャン陣営に先を越されてしまった、というわけだ。

〔PHOTO〕gettyimages

そこで2016年1月に開始された特許裁判の中で、ダウドナ陣営は以下の点を強調した:

「私達のチームがクリスパーで(バクテリアの)DNAをゲノム編集できることを実験的に証明した時点で、この技術をマウスやヒトなど様々な動植物に応用できることは自明だった。それは、どれほど平凡な科学者でも(ある程度の時間をかければ)やれたはずだ」と。

つまり「ジャン氏らの研究成果には本質的な意味がない」と言っているのだ。

別の言い方をすれば「確かに私達がやったのは『バクテリアのDNAをクリスパーで書き換える』ことだが、『バクテリアの』という但し書きには大した意味がない。実際には、あらゆる動植物のDNAを書き換えるゲノム編集技術のベースがこの時点で完成していた。ジャン氏らの研究では、これをちょっと改良したに過ぎない。従ってジャン氏らの特許申請(技術)と、私達の特許申請(技術)は実質的に同じ内容だ」ということになる。

ダウドナ陣営にも「何らかの」特許は与えらえる?

しかし先週下された判決の中で、特許法廷の判事らは、こうしたダウドナ側の主張を却下した。

つまり「(ダウドナ氏らのチームが開発した)試験管内に抽出されたバクテリアのDNAをゲノム編集するクリスパー技術を、マウスやヒトなど動植物のDNAに応用することは、『どれほど平凡な科学者でもやれること』ではない。むしろ、それは極めて困難な作業で、これを成し遂げたジャン氏の研究チームには当然、クリスパーの特許が与えられてしかるべきだ」とする判決である。

〔PHOTO〕gettyimages

一方で、同判決は「ダウドナ陣営によるクリスパーの特許申請も有効である」としている。

つまり同じクリスパーでも、「ダウドナ陣営とジャン陣営の技術(特許)は実は別物であって、それらは互いにinterefere(抵触、あるいは干渉)しない」という結論に至ったのである。

が、勝負はまだ決したわけではない。今後の展開には、幾つかの可能性が考えらえる。

まず今回の判決(裁定)を受けて、今現在、ペンディング(保留)状態のダウドナ側による特許申請の審査が再開され、まず間違いなく(何らかの)クリスパー特許が彼女たちのチーム(カリフォルニア大学バークレイ校)にも与えられる。

しかし、同じクリスパー特許でも、その内容が問題である。

関連記事