金正男殺害、北の「暗殺セオリー」にないズサンな手口が物語ること

追い詰められた金正恩体制!?
牧野 愛博 プロフィール

「殺すなら、もっとマシな場所がある」

まず、女性2人が殺害にかかわった点について、元工作員は「相手に警戒されずに近づけるという意味で、女性を使う場合はある」と語る。「2人で一組というのもうなずける。周囲に邪魔されずに確実に殺すことや、逃走を考えた場合、2人でユニットを組むことは暗殺の基本だ」と話す。

北朝鮮の場合、今回のような女性チームや、強行犯が得意な男性チームなどさまざまなチームを作っておいて、状況に応じて使い分けることがあるという。

 

毒物を使うのも、1970年代からよくみられる傾向だという。北朝鮮情勢に詳しい康仁徳元韓国統一相は「音がしないから気づかれない。死因もすぐに特定されないから暗殺に便利だ」と語る。

ただ、理解できるのはそこまで。北朝鮮が過去の暗殺で最も神経を使ってきた「北朝鮮の犯行だという痕跡を消す」という作業がまったくできていない。

韓国政府によれば、正男氏は2月6日にマレーシアに入国し、13日に家族の住むマカオに向かう予定だった。北朝鮮にとってマレーシアは工作活動がやりやすい国だとされる。北朝鮮労働者など関係者が多いうえ、マレーシア公安当局の取り締まりが緩いからだ。

逆にマカオは中国当局の監視が厳しいうえに、犯罪が露見した場合、北朝鮮にとって影響力が大きい中国を怒らせることになる。だから、「亡命政府騒動」から今回のマレーシア滞在期間を暗殺実行期間と位置づけ、マカオに入ってしまう前に焦って殺したようにも見える。

しかし、元工作員は「殺すなら、空港よりもましな場所がたくさんある。いくら正男が身辺に気を遣っていても、監視カメラがたくさんあって、警察や軍が常駐している国際空港で殺すのは、犯人が誰かわかってください、と言っているようなものだ」と語る。

【PHOTO】gettyimages

北朝鮮は従来、暗殺を重要な政治活動の一環ととらえ、思想教育など犯行に入念な準備をこなしてきた。元工作員は「金正男のような重要なターゲットの殺害を、素人のような他人に任せるなど考えられない」と語る。

それでも、犯行後、インドネシアとベトナム国籍の女性2人が逮捕された頃は、一部の専門家から「北朝鮮の犯行を隠すため、あえて無関係の人間を使ったのかもしれない」と分析する声も出た。

しかし、17日夜に北朝鮮の旅券を持つ、リ・ジョンチョルという男性が逮捕されるに至って、この推論もむなしく消えた。情報関係筋の1人は「なぜ、13日の犯行から数日間の間、逃亡もせず、自殺もせず、時間を浪費したのだろうか」と語り、頭を抱える。

過去、事前に中国人や日本人になりすます訓練を受け、犯行が露見して服毒自殺を図った大韓航空機爆破事件(1987年)の金賢姫氏や、1983年10月のアウンサン廟爆破事件の後で逮捕される際に銃撃戦で重傷を負い、2008年5月に死亡するまで服役したカン・ミンチョル上尉のようなすごみを感じさせない。

関係国の情報分析担当者が一様に頭を抱えるなか、無理やりに出している推論の一つに「金正恩労働党委員長の恐怖政治による北朝鮮組織の弱体化説」がある。