作動しないスプリンクラー、鳴らない火災報知器――高級ホテルとは名ばかりの「砂上の楼閣」だった。奇跡の脱出を果たした生存者と伝説の消防士が語る真実。
高野 死者33人、負傷者34人を出した「ホテルニュージャパン火災」から、今年の2月8日でもう35年が経つんですね。深夜に発生した火災は、翌日の昼過ぎまで燃え続けた大惨事でした。
当時、私は麹町消防署・永田町出張所・第十一特別救助隊(通称・オレンジ)の隊長を務めていました。取り残された宿泊者の救助に携わった時の様子は、今でも鮮明に記憶しています。
大下 ニュージャパンがあったのは赤坂の一等地で、オーナーは「昭和の買収王」と呼ばれていた横井英樹。地下2階、地上10階の高級ホテルでした。特に地下のクラブ「ニューラテンクォーター」は政財界の社交場としてよく知られていた。
そんな有名ホテルが一夜にして地獄絵図と化した。深夜のテレビ中継で、今にも飛び降りそうになって救助を待つ人の姿はショッキングでした。
高野 そんな中で、山林さんは奇跡的に生還された一人ですよね。
山林 火災前日にニュージャパンで結婚式を挙げ、そのまま宿泊していました。部屋は火元と同じ9階。式の後、友人とのパーティも終わり、深夜1時過ぎに部屋に帰りました。疲れていたので、すぐ床についたのですが、異臭がして目が覚めた。
起き上がると煙が天井の辺りに漂っている……「火事だ!」と気づき、慌てて妻を起こし、逃げようとドアを開けると、廊下から大量の黒煙が流れ込んできました。涙と鼻水が滝のように出て、息もできない。窓を必死で開けたものの、そこは9階。飛び降りて死ぬしかないのか、と諦めかけていました。
高野 消防に第一報が入ったのは出火から15分後の深夜3時39分でした。直ちに出動し、国会の横を抜けると、建物から炎が立ち上り周辺は異様な熱と明るさになっていた。言葉を失う隊員に「落ちつけ」と言ったのを覚えています。
現場に到着すると、今にも飛び降りそうな人が見えました。「やめろー」と叫びましたが、熱さに耐えきれずに数人が飛び降りてしまった。それを見た瞬間、背筋に冷たいものが走ったのを覚えています。