フォークの神様と言われた岡林信康が名曲『山谷ブルース』で「今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ……」と歌い、かつて日雇い労働者の町だった山谷。浅草の北方1.5キロほどに位置する、今は台東区清川、日本堤などの住居表示のエリアで、1泊2000円前後のドヤ(簡易宿泊所)が軒を連ねている。
早朝、その日の仕事を求める男たちがあふれ、仕事を斡旋する手配師が蠢き、そして夕方には仕事から帰ってきた男たちで満ちるといった光景は、今は昔の物語。最盛期に日雇い労働者3万人がいたとされるこの町はずいぶん静かになった。
「そうさ。都庁もディズニーランドもおれがつくったさ」
と、豪語する元労働者もいるにはいるが、寄る年波に勝てず、多くは生活保護の受給者になった。近年、他の地から移り住んだ人も少なくなく、「福祉の町」と言われるようになって久しい。一方で、ドヤからゲストハウスへの建て替えも進んでいて、外国人観光客も流入している。かと思えば、路上に暮らす人たちの姿も目につく。
そんな山谷を歩くようになって2年になる。
食堂で「月に一度の贅沢」と親子丼を食べていたおじさんと隣り合わせたことも、路上で酒盛りする人たちに「(競馬で)大穴を当てた」「別居中のカミさんがタワーマンションを買った」と威勢のいい話を聞いたことも、ふらふら歩くおじさんに福祉事業者あるいはボランティアと間違われて「太田胃散ちょうだい」と言われたこともあったが、名前や来し方を尋ねるのは御法度なのがこの町の不文律。
ところがこの日、炊き出しが行われていた公園で会ったのを機に話した人は、写真入りのマイナンバーカードを見せてくれた。
「お上に管理されるこの制度には反対だけど、免許証もなくなったし、自分を証明できるのはこれしかないから」
と。私も自己紹介し、「山谷の今」を知りたくて取材に来ていると明かすと、
「いいですよ、おれのことを本名で書いてくれて」
とおっしゃるではないか。
水谷正勝さん、69歳。生活保護を受給し、山谷のドヤに暮らして5年になるという。
「胸張って言える人生じゃないけど……。おれは山谷を寝ぐらにしてる3000人分の一。一寸の虫にも五分の魂だから」
と、いわくありげだ。
杖をつき、右足を少し引きづりながら歩き、一緒に喫茶店に入った。
「ナニ、シマスカ?」
アジアのどこかの国の人であろうウエイトレスに、水谷さんは「ブレンド」と注文し、
「このごろ、コンビニの100円コーヒーしか飲んでなかったからな」
と柔和な笑顔を見せたかと思うと、急に眼光鋭くなり、こう聞いてよこした。
「銀行が、本人確認をせずに口座を作っていいと思いますか?」
はい?
「おれの知らないうちに、施設と銀行に結託されて通帳を作られていたんだ」
どういうことです?
「千葉の無料定額宿泊所施設におれの名義の銀行口座を勝手に作られて、保護費をピンハネされてたの、2年5ヵ月間。そっちはいちおう和解したんですが、貧困ビジネスと分かっていながら口座を開いた銀行は悪くないのか。銀行の責任を問いたいと、今も毎日考えている……。」
ちょっと待って。千葉? 貧困ビジネス? 和解? 銀行? 順を追って教えてほしいと言った私に、水谷さんは
「そりゃそうやね。一から話さないと分からんよね」
と柔和な顔つきに戻った。
「時間かかるけど、いいのかな」
とこちらを気遣いながら、人生のあらすじから語ってくれた。