8年前、勤めていた出版社を退社したと同時に乳ガン罹患が発覚した文筆家の山口ミルコさん。手術、抗がん剤、放射線、ホルモン剤、リハビリなど、辛い治療をこなしつつも、快方に向かっていた。が、山口さんは途中で治療を一切放棄してしまった。そのココロは一体?(前編はこちら)
退社することなく、ガンになったと仮定してみる。
おそらく丸1年は会社を休まなければならなかったし、その後の不調を抱えながら前と同じ仕事を続けるに困難がつきまとったことは想像に難くない。
闘病は身体の厄介だけでない、心が厄介だ。
それに会社というのは待ってくれるものだろうか、以前のようには稼げなくなった人を。
なぜガンになったのか? それをずっと考えてきた。
<私がなぜ?>の問いは、多くのガン経験者の方々にも共通のものと思う。
ストレスか、食生活か、何者かの怨念もしくは邪気なのか、はたまた自らの行ないの悪さによるものか、前世からの因縁か……自問自答は止まらない。
けっきょく自分自身を責めることになる。私もはじめはそうだった。
ところが年数が経つにつれて、ほんとうにそうだろうか?と思うようになった。
考えてばかりいるうちに、自分がいいとか悪いとか、そういうものを超えた真相に迫りたい、どうにかしてそこへたどり着けないだろうかということになった。ヒマだったのだ。
原因は何か?
犯人は誰か?
犯人逮捕までの捜査プロセスについては、これから出る新しい本に書いた。
ガン探偵ミルコは、日本で、中国で、ロシアで、考えた。
考えに考えぬいてわかったことの1つには、結果はもう出ている、ということがある。
<ガンになった>は結果だ。
原因はどうであれ、結果が出ている。
ガンになったことも、会社をやめたことも、もう済んだこと。
なのになぜ私はそこにいつまでもこだわり続け、本まで書いたのだろう。
会社も治療もやめたのに、考える続けることはやめられなかったのである。
私を導いたものがなんであるのか、そこも知りたい。
ひとつ、いいアイデアが浮かんだことがある。
「私は嵌められた」というものだ。
私は罠にかかった小動物のようだった。
まったく自分は悪くない、すべて私以外の何者かのしわざであると。そこで片づけられたらすぐに終わったのだが、しかしそうはならなかった。