かつて日本はギャンブル大国だった!?驚きの「近代賭博史」

カジノ建設の前に、知っておくべきこと
河合 敦 プロフィール

東京都の教員住宅に住んでいたときのことでした。住宅の会計担当と名乗る男が玄関に現れ、「来年度の共益費を早めに集めている」というので、すっかり信用して1万数千円を渡しました。しかし後にそれが詐欺だと判明。

同じく被害に遭った住民たちと東京都教育委員会に連絡したところ、確かに実在する教員だったのですが、男はギャンブル依存で金銭トラブルを起こし、すでに学校を退職して行方をくらましていたことがわかりました。結局、わたしたお金は戻らず、泣き寝入りになりました。

教員という、本来は人を教え導く立場にありながら、人をだましてまでギャンブルする金をつくる……依存症の恐ろしさをまざまざと感じた瞬間でした。

江戸時代の「賭博FBI」とは

さて、博打にはまるのは庶民だけではありませんでした。支配階級である武士の常習者も多く、旗本・御家人が賭場に出入りすることや、なんと、武家屋敷自体が賭場になることもありました。

時代劇などで、大名の下屋敷が賭博場になっている場面が時々出てきますが、あれは歴史的にもあったことなのです。このため幕府は、武士だけでなく、武家屋敷で働いている「武家奉公人」(武士身分でない者)に対しても、賭博をした者は遠島(島流し)に処すると決めました。

また、19世紀になって貨幣経済が発達すると、関東の農村では博徒が暗躍して盛んに賭場が開かれるようになります。博徒(博打打ち)というのは、賭博を仕事にしている者たちです。歴史家の田村栄太郎氏の研究によれば、彼らは一人を親分とし、兄弟分や子分たちで「一家」と称する組織を持ち、自分たちの縄張りを支配し、その中で賭場を開き、その寺銭の収入で生活しています。いわゆる「やくざ」のルーツです。

 

縄張りをめぐって一家同士が死者も出る激しい抗争をすることもしょっちゅうでした。また、賭博で金を巻き上げられ、小作人に転落する素人も多く、関東近郊の治安は非常に悪化してしまいます。

幕府は、治安を乱す博徒や犯罪者たちを捕らえようとしますが、うまく運びませんでした。関東は幕府直轄領、大名領、旗本知行地などが入り乱れており、犯人が他所に逃げ込んでしまうと、領内を超えて捜査や追跡はなかなかスムーズに出来ないのです。博徒の中にはそれをうまく利用して、各地の一家に世話になりながら、賭博渡世で暮らす者もいました。

現代でも警察組織は各県警同士の縄張り意識が強いため、犯人が複数の件をまたいで移動したケースなどで捜査が停滞することがあるようですが、こうした状況は江戸時代から続いているということなのでしょうか。

この状況を打開するため、幕府は1805年、関東取締出役を設けました。いまでいえば、アメリカのFBIのような、領地の違いを超えて犯罪捜査ができる広域捜査官ですが、こうした大胆な改革は現代の政治家も是非参考にしてほしいものです。