地方都市の「非正規雇用」急増と格差拡大〜安定を望むことはできるか

構造的問題を解き明かす
貞包 英之 プロフィール

地方都市の「仕事の未来」

こうした改善が実行されることをあくまで前提としてだが、流動的な労働環境が地方都市で増加していることは、一概に悪いこととはいえない。

ただし他方で、それに対する覚悟も必要になる。仕事の流動化が私たちの生活を良かれ悪かれ大きく変えることも事実だからである。

まずそれは家族とのかかわり方の再考を求める。すくなくとも現状において、地方都市で非正規の職で暮らすためには、親の家に暮らすなど、家族との関係が良好であることが基本になる。

低賃金の仕事で生活することや、インフォーマルな仕方で紹介されることが多い職をそもそもみつけることは、家族や家族のように付き合う仲間がいない場合、途端に難しくなるからである。

家族との関係が強いことは、たしかに悪いことではない。しかし一方で家族に恵まれていない人もおり、また家族に依存せざるをえない生活が逆に不幸な争いを生むこともある。

 

だとすれば、「家族」との関係を補う、または代替する制度やコミュニティをいかに作り出していくかが、流動化した労働環境では鍵になるといえよう。親の家を出て暮らすための低廉な公共住宅、より利用しやすい育児や介護サービス、または趣味を介した幅広い付き合いなど、家族の枠を離れた制度や関係性の土台が充実して初めて、転職や起業も綱渡りではなくなるのである。

それとも関係し、より緊急には、労働を第一の目的としない人生の可能性を探ることが迫られる。近代社会は、職業をアイデンティティの核に置くように要求してきた。職業が社会における地位をしばしば定め、だからこそ多くの人はより良い職を求め、仕事中心の生活を送ってきたのである。

しかし仕事が流動化し、一生の職と呼べなくなるなかで、仕事によって人を判断することも、まただからこそ仕事に熱意を注ぐことも、意味のないことになりつつある。

個人的にいえば、こうした変化が望ましいとは、一概に言いにくい。人生のなかでも多くの時間をかけることとして、仕事に熱意を注ぐことはやはり大切なのではないか。

ただし報酬を貰うという意味で、仕事には「不純」な動機が含まれているとみることもできる。

賃金抜きで、自分で熱意を注ぐコトやモノやヒトを探すこと──。考えてみれば、それはしばしば「まっとうな」職から排除されてきた子供や老人や女性にすでに当たり前に追求されてきたことである。

仕事がますます断片化し、プライベートな時間を侵食化してしまいかねない現在では、それらの人びとから学び、仕事に見切りをつけることがたしかに重要になる。

職に報酬の高さややりがいを追求するのではなく、「安定」を望む若者たちも、実はそうしたあらたな暮らしを生き始めているのかもしれない。