加藤紘一が10年も前に予見していた「日本会議の危うさ」

歴史を見通す確かな眼力
魚住 昭 プロフィール

加藤紘一が感じていた「危機感」

1999年には国旗・国歌法が制定された。村上証言によれば、この原動力となったのも日本会議だ。

彼らは一つずつ政策課題を実現していくことで外堀を順に埋め、ついには2006年の第一次安倍内閣、12年の第二次安倍内閣の誕生で本丸の憲法改正に手が届く所まで到達したのである。

この状況の危うさを加藤はよく知っていた。本書には彼の危機感が表れている。彼はそれを手を拱(こまね)いて見ていたのではない。首相の靖国参拝支持論者のなかで圧倒的に人気の高い小林よしのりに注目し、彼の靖国論、戦争論、歴史論には明らかに日本会議の影響で書かれている記述があると指摘する。

たとえばこういうところだ。

「日本は東京裁判をサンフランシスコ講和条約第11条で認めている/だからA級戦犯は犯罪人だ」/とサヨクがよく言っていたがほとんど詐欺師の詭弁と恫喝だ〉

当の条文Japan accepts the judgmentsは「日本は諸判決を受諾する」という意味で「裁判を受諾する」ではない。つまり、日本は東京裁判の判決を受け入れたのであって裁判そのものを受け入れたのではない。だからA級戦犯の恩赦を連合国に諮る必要はない。日本が単独で決められると小林は言うのだが、加藤はそれを一蹴する。

「この論理は、日本会議の主張とまったく同じである。そして、安倍首相の著書『美しい国へ』にも、まるで同じ記述がある。じつは日本会議、小林氏、櫻井よしこ氏、そして安倍首相が東京裁判やA級戦犯合祀問題について論じる際、最大の論拠にしているものに、植草学園短期大学元学長の佐藤和男氏(法学博士)による『日本は東京裁判史観により拘束されない─—サンフランシスコ平和条約の正しい解釈』という論文がある」

何のことはない。ネタ元は一つで、しかもそれが相当アクロバティックな論理で成り立っている。こんな子供だましにだまされてはいけませんと加藤は言いたいのだろう。

しかも「第一一条の受諾は、単に刑の言い渡しだけを受諾したものではなく、そういう主張には根拠がない」として政府の有権解釈がすでに定まっている。

これ以後の加藤の東京裁判否定論・A級戦犯合祀論に対する反論は説得力に満ち溢れていてホーッとため息をつきたくなるほど見事である。本書の白眉だからじっくり読んでいただきたい。そうした眼力は若いころに外交官として訓練されたからこそ獲得できたものだ。

条文解釈能力や論理的思考力、歴史を見る目の確かさ。そして取材で二、三度訪ねた私を迎え入れるときの懐の深さと包容力も忘れられない。これほどの政治家はもうなかなか出てこないのではないか。

山崎拓が言うように、私たちは「最強最高のリベラル」を失ってしまったのだと思う。

加藤紘一はすでに10年前、日本のいまの危うさを見通していたーー。