市川團十郎という「業」〜海老蔵も受け継ぐであろう”運命”

芸とスキャンダルに彩られて……
週刊現代 プロフィール

十一代目の「光」と「陰」

篠田 團十郎の名を継ぐものがいなくなった市川家は、河原崎権之助の元へ養子に出していた五男を呼び戻し、九代目を継がせます。ちなみに私の妻の岩下志麻は、四代目河原崎長十郎の姪にあたる。それもあって市川家とは縁があるんです。

 九代目は、初めて天皇の前で歌舞伎を披露(天覧歌舞伎)した人物としても知られています。これをきっかけに歌舞伎は「芸術」として認められることになりました。

犬丸 そして九代目は「明治の劇聖」と呼ばれ近代歌舞伎の基礎を築いていきました。しかし、九代目が偉大すぎたのか、気の毒なことに養子が先に亡くなり、娘しかいなくなってしまう。そのためここから59年間、團十郎の座が空位となる。

 その間、市川家を支えたのが九代目の娘婿でした。彼は元々、銀行員でしたが、市川家のために30近くになって歌舞伎の道へ入ります。大阪に行き初代中村鴈治郎のところに弟子入りし、五代目市川三升という名で舞台に立つのです。

犬丸 元々は若旦那と呼ばれ、周囲から立てられていました。しかし、「舞台に立つ」と言った瞬間、一気に手のひら返しにあったそうです。それでも彼は、歌舞伎十八番を一生懸命復活させ、家を守った。そして十一代目を再び松本幸四郎家から養子に迎え入れた。その功績もあり、死後に十代目を追贈されるのです。

篠田 そして、現在の海老蔵の祖父に当たる十一代目の活躍により、市川家は再び歌舞伎界の覇権を握っていく。

 

犬丸 僕は十一代目の舞台を生で見ることは叶わなかったのですが、関さんはご覧になられていますよね。どんな印象でしたか。

 「海老さま」の美貌と人気は並大抵ではなかったですね。戦後『源氏物語』の光源氏で登場した時は、文字どおり光り輝くばかりでした。感激した女性客がいきなり立ち上がり「ああ、海老さま、光源氏」と繰り返しながら歌舞伎座を出て行ったと、新聞に載ったくらいです。

そんな海老さまですが、肺を長く患っていて、病弱でどこか暗い感じがありました。でもその暗い「陰」の部分も女性人気に繋がっていたと思います。

犬丸 しかし、自分は養子だからという遠慮があって長い間、團十郎を襲名しないで海老蔵のままでした。53歳で十一代目を襲名するのですが、わずか3年で亡くなってしまう。プレッシャーもあったのでしょう。

 十一代目は成田屋の権威を守らなくてはいけないという意識が強く、口上の座り位置にもこだわっていました。それがある時、大上手(向って右端)に指定されたため、病気と称して休演して、自室に籠もってしまった。市川宗家の体面を保つ重圧からくる極度のストレスが早逝の原因だったかもしれませんね。

篠田 あれだけの人気がありながら、寂しい最期でした。

 後に十二代目も「もっとおおらかにすればいいのにと思っていた」と言っていました。そんな父と比べて息子の十二代目は太陽のように明るくおおらかで人格者でした。出てきただけで皆が幸せになれるというかね。

篠田 ああいうタイプの歌舞伎俳優は今、いないですよ。それが66歳で亡くなってしまって、本当に寂しい。

 妹さんから骨髄移植を受け、一度は舞台に復帰しますが、再発して……とても苦しい闘病生活でした。本人は、白血病発症から9年間生き延びたことに「グリコのおまけだ」と感謝しておられましたけどね。

犬丸 その子供の海老蔵さんは御祖父さんとお父さんの両方のいい所を併せ持っている。海老蔵さんが『源氏物語』なんかをやると十一代目が乗り移ったかのような美しさもあった。それでいてお祖父さんとはひと味違う鋭さ、強さを備えている。まさに市川家に生まれるべくして生まれてきたような人です。

 彼が新之助時代に勘三郎さん(当時は勘九郎)と対談した時のこと。勘三郎さんに「市川家の責任をちゃんと背負っていかないといけないよ」と言われ「市川家として? それとも僕が?」と聞いたんです。勘三郎さんが「君が」と言うと、「ああ、僕に背負わせてくださるの」と重く受け止め、その言葉をずっと引き継いでいる。

息子に「勸玄」という名前を付けた時、ああ市川家の代表的な演目である『勧進帳』と『玄冶店』だなと思いました。この二つの演目は海老蔵さんにとってとりわけ思い入れの強いものだからです。

犬丸 今彼は、本当に大変な時だと思います。でもその中で古典に、新作にと自分の役割を懸命に果たそうとしている。立派ですね。

 十三代目市川團十郎の誕生はいつ頃か分かりませんが、なるべく早く襲名してもらって、くれぐれも体を大事にして、長く重責を果たしてもらいたいものですね。

篠田 團十郎を襲名することは、歌舞伎界では皇太子が天皇になるのと同じくらい大きなこと。その重圧と戦い続けなければならない、それが市川家に生まれた宿命なんです。

篠田正浩(しのだ・まさひろ)
31年生まれ。映画監督。'95年映画『写楽』を撮影。著書『河原者ノススメ』など歌舞伎に造詣が深い。妻は女優の岩下志麻
関容子(せき・ようこ)
日本女子大学国文科卒業後、作家、歌舞伎エッセイストに。『海老蔵そして團十郎』、『勘三郎伝説』など歌舞伎に関する著書多数
犬丸治(いぬまる・おさむ)
59年生まれ。歌舞伎評論家であり、歌舞伎学会運営委員も務める。著書に『市川海老蔵』『歌舞伎座を彩った名優たち』など

「週刊現代」2017年2月11日号より