松方弘樹の「遺言」~病に倒れる直前に、彼はすべてを語っていた。

適わないと思うやつも、抱きたい女も
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松方がテレビに進出するもう一つの転機となったのが、ビートたけしとの出会いだ。日本テレビのプロデューサー・加藤光夫から、当時売り出し中のビートたけしのバラエティ番組に出ないかと打診があった。

〈出演依頼が来たとき、東映も僕の周りの友達も百人が百人とも反対でした。「そんなのに出てどうすんだ」って。テレビを、とくに「お笑い番組」を低く見てたんです。

――なのに周囲の反対を押し切って出た。なぜでしょう?

「ビートたけし」という男に会ってみたかったからです。僕とは育ちも土壌も全く違うところで、あれだけのスーパースターになった男は、どういう人となりをしているのかに興味があったんです。

プロデューサーの加藤さんも知ってる人だし、たけしさんと毎週会える、という好奇心が勝ちましたね。それに、東京の空気もたまには吸わなきゃな、という思いもあって一パーセントの賛成もなかったけど自分で決めました〉

 

ところが'85年に開始した『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は瞬く間に人気番組に。笑い上戸なキャラクター「松方部長」で新境地を開いた。

〈最初はたけしさんと十五分くらいコントをやる予定だったんです。だけど、たけしさんの頭の回転とアドリブを見ているうちに、「こりゃ太刀打ちできない」と思いましたね。僕ら俳優はアドリブ利きませんから。台本を読んで、いかに表現するかが商売ですから。

僕はとくにMC(司会者)の才能はありませんから。だからこの番組では、台本に書いてある「熱血漢で汗っかきの部長」を演じよう、と決めました〉

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バラエティ番組でも引っ張りだことなった松方。とくにその女性遍歴から〝性豪〟として取り上げられることも多くなった。『無冠の男 松方弘樹伝』には、数多くの女性との赤裸々な情事も描かれている。主演作『恐喝こそわが人生』撮影時の一コマを紹介する。

〈丸一日、ものすごいライティングと雨降らしに時間をかけて、パンツ一丁の僕とシュミーズ姿の佐藤友美さんがずっと車の中で二人っきりにされたんです。全然外に出してもらえなくて、遠くから監督がレシーバー持って、「いいか、行くぞ、ヨーイ!」って水戸弁で怒鳴ってる声が雨の中でかすかに聞こえるだけで。

雨降ってるからガラスが少しぼやけてきて、外は見えないし、佐藤さんから甘い匂いは漂ってくるでしょ、そのころ若いし、変な話、男性がねえ……反応してきちゃったんですよ。恥ずかしかったなぁ(笑)。

佐藤さんは歳は同じくらいですけど、はるかに大人ですから。それに、その当時お付き合いしている、うんと大人の方がいたことも知ってるわけですよ。

――佐藤さんは気づいて、何ておっしゃったんです?

「あら、まぁ」(笑)〉