数人の柔道部員がさっそく名乗りを上げたものの、中井のローキックやサブミッションの前 にことごとく沈んだ。 「どうだ!プロレスは最強なんだよ!」試合を見ていた柔道部の顧問に向かって、中井は言い放った。几帳面な中井は、すべての試合の記録をノートにつけていた。いつどこで誰と戦ったのか。 試合時間が何分何秒だったのか。フィニッシュ・ホールドは何か。
UWFのシリーズ名は「ビクトリー・ウイークス」「サンライズ・ウイークス」「パンクラチ オン・ロード」というものだったから、似たようなシリーズ名を自分で考えて命名した。
だが、残念なことがひとつあった。試合時間が短すぎるのだ。自分たちの試合は最短で15秒。長くとも数分以内に決着がついて しまう。一方、UWFの試合は短くとも10分以上、長ければ25分を超える。
「やっぱりプロはレベルが高い」と感心したが、そのうちに「試合時間25分」とどうしてもノートに書いてみたくなり、関節技を極めるチャンスをわざと逃すようになった。
リアルファイトからほんのわずかに逸脱しつつ、北海道のシューティングは順調に試合数を重ねていく。ところが、50 試合ほど戦った中3の夏に大事件が起こる。中井が繰り出したフライング・ニ ールキックが相手の腹部にモロに入ってしまい、病院に行く騒ぎになったのだ。悪いことは重 なるもので、昼休みにボールを蹴って遊んでいたところ、中井の足が、たまたま下級生の顔に 当たってしまった。
中井は成績優秀かつ品行方正な生徒であり、不良になる心配はまったくなかった。春には生徒会長にも選ばれている。
だからこそ教師たちは中井のシューティングを黙認してきた。しかし、負傷者が出た以上は、放っておくわけにもいかない。学校はシューティングの解散を決定した。中井に言い渡したのは、体育教師でもある柔道部顧問だった。
中井は承服できなかった。シューティングはケンカではない。ルールのあるスポーツであり、格闘技だ。柔道でもサッカーでも負傷することはあるだろう。仲間がケガをしたのは単なる事故に過ぎない。休み時間 や放課後に生徒同士が納得ずくでやっていることが、どうして学校から介入されなければならないのか。もうひとつ、ボールを蹴って遊んでいたときの事故は、シューティングとは何の関係もない。
学校代表の体育教師と生徒会長は、シューティングの存続を巡ってどちらも譲らず、ついに 戦って決着をつけることになった。
机と椅子を片づけてガランとなった放課後の教室で、教師と生徒が向かい合う。 国士舘大学柔道部出身の猛者は余裕の表情だった。相手はしょせん中学生だ。体格差も大きい。負ける要素はひとつもない。
しかし、試合開始早々に生徒会長が放った右のローキックの威力は凄まじく、体育教師の目の色が変わった。 「この野郎!」
本気を出した体育教師は強かった。すぐにグラウンド状態になり、しばらく取っ組み合った末に、腕がらみを完璧に極めた。中井が必死に耐えていると、まもなく技は解かれた。教師が生徒の腕を折るわけにはいかない。
柔道部顧問は生徒会長に優しく言った。
「いいか、中井。関節技は一瞬で極まる。何分間持ちこたえるとか、ロープに飛んで逃げるとか、そういうものじゃないんだ。プロレスなんか、全部インチキなんだぞ」
「いいえ、UWFは本物のプロレスをやっているんです!」
「わかった。お前の気持ちはよくわかったから、とにかくシューティングはやめろ。大切な受験の時期でもあるんだから」
戦いに敗れた中井は、シューティングを解散せざるを得なかった。受験シーズンが近づいていた。中井は三者面談の席で「中学卒業後はUWFに入門するつもりです」と言ったが、担任から真剣に説得された。
「高校には行っておいたほうがいい。君の成績ならどこの高校でも選べるから」
「わかりました。だったらレスリング部のある学校にします」――。
(この後、中井少年は高校、大学で衝撃的な体験をします。そして物語の舞台はゴッチ道場へと移り、藤原良明、佐山聡が登場。UWF結成前夜の秘話が明かされていきます。続きは、『1984年のUWF』をぜひお読みください)