大統領就任式と「精密ダンス」のキケンな関係~熱狂は何を意味したか

特殊な舞台芸術に快感を覚えるワケ
寺田 悠馬 プロフィール

人体が精密機械と化す特殊な舞台芸術

この一件で、フェミニズムの視点から展開された論そのものについて、筆者は何ら異を唱えるつもりはない。しかし、昨年末に浮上した「ザ・ロケッツ」問題が、唯一フェミニズムの視点からしか論じられなかったことには、強い違和感を覚えた。

つまり「ザ・ロケッツ」というダンスカンパニーの系譜と、その舞台芸術の特殊性について思慮すると、このパフォーマンスが大統領就任式に組み込まれることの意味は、当然、フェミニズムとはまた別の視点からも検証されねばならないと思うのだ。

舞台芸術としての「ザ・ロケッツ」は、観客にどのようなエンターテインメントを提供する演目なのか。サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)には、次のような一節がある。

〈 劇場に入ると、ろくでもないステージ・ショーが進行中だった。ザ・ロケッツがこれでもかと高く足を蹴り上げていた。いつものように列を組んで、お互いの胴に腕をまわして。観客は頭がいかれたみたいに熱烈に拍手していた。僕の後ろに座っていた男は奥さんに向かって「見てごらんよ。一糸乱れず、というのはまさにこのことだ」と言い続けていた。〉(村上春樹訳)

また、建築家のレム・コールハースは、著書『錯乱のニューヨーク』(1978年)で「ザ・ロケッツ」について次のように書いている。

〈(ザ・ロケッツ)は・・・とにかくやみくもになんでも一緒に揃ってやってしまおうとする非人間的な協調行動の展開であり・・・そのオートマティズムへ個人を興奮のうちに屈服させようとする試みなのである。このショーのハイライトは、全員で行うハイ・キックである 〉(鈴木圭介訳)

いずれも、語り手自身は「ザ・ロケッツ」の魅力にいささか懐疑的だが、二つのテキストからは、92年間「ザ・ロケッツ」の興行を支えてきた一般の観客が、いったい何に魅了されてきたのかが読み取れる。

つまり、複数のダンサーがまるで互いの複製かのように連続して、同じ笑顔で、同じ動作を「一糸乱れず」繰り返す様子こそが、「ザ・ロケッツ」の真骨頂である。人間の体が本来含有する不確実性を排除し、肉体を機械的な規律に組み込むことによって、「ザ・ロケッツ」は、圧倒的な同一性と反復性を、エンターテインメントとして提供する。

日本語で使われる「ラインダンス」という言葉は和製英語であり、「ザ・ロケッツ」が得意とするダンスを、英語では「precision dance(プレシジョン・ダンス)」、つまり「精密ダンス」と呼ぶ。この特殊な舞台芸術は、人体が精密機械へと変態する不自然な振る舞いを、一大スペクタクルに仕立て上げることで、まさしく観るものを「興奮のうちに屈服させようとする試み」なのだ。

〔PHOTO〕gettyimages

「プレシジョン・ダンス」と政治の距離

かくして「ザ・ロケッツ」という演目の特殊性を理解すると、大統領就任式で彼女たちが踊ることの是非について、「女性の権利の問題です・・・政治よりはるかに大きな問題です」とする偽名のダンサー「メアリー」の発言には、いささか疑問を抱かざるを得ない。

なぜなら、この種の「プレシジョン・ダンス」が極めて「政治的」な目的に利用され、時の観客たちが「頭がいかれたみたいに熱烈に拍手」を送ってきた歴史を無視しては、大統領就任式を鑑賞することなど到底できないからだ。

 

「ザ・ロケッツ」の生みの親、振付師のラッセル・マーカートは、当時イギリスのダンスカンパニー、「ティラー・ガールズ」が得意とした「プレシジョン・ダンス」をアメリカで再現しようとして、前身の「ミズーリ・ロケッツ」を1925年に創設した。

「プレシジョン・ダンス」の発案者として知られる舞台演出家、ジョン・ティラー率いる「ティラー・ガールズ」はヨーロッパで絶大な人気を誇り、「ミズーリ・ロケッツ」の他にも、数知れないダンスカンパニーがそのスタイルを模写した。

今日、「ティラー・ガールズ」の系譜を継ぐダンスカンパニーとして名が残るのは、「ザ・ロケッツ」の他に、ドイツのオペラ歌手、ロルフ・ヒラーが1928年にベルリンで創設した「ヒラー・ガールズ」である。

だが、1960年代にすでに解散した「ヒラー・ガールズ」の名が今なお語り継がれる理由は、彼女たちのパフォーマンスが、ナチス政権のプロパガンダに組み込まれた歴史があるからに他ならない。

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あらゆる芸術表現を厳しく規制したナチス政権が、「ヒラー・ガールズ」に代表される「プレシジョン・ダンス」を廃止することなく、むしろ擁護した経緯については、様々な論文が発表されている。

その一つ、テリー・J・ゴードン著「Fascism and the Female Form: Performance Art in the Third Reich(ファシズムと女性のフォルム:第三帝国時代の舞台芸術)」によると、「ヒラー・ガールズ」のダンサーたちが演じる「身振りの絶対的なシンクロニシティと、高度に機械的な動作」は、「秩序、規律、そして支配といった観念を展開する」という理由で、ナチス党の啓蒙活動にとりこまれた。

例えば、「ヒラー・ガールズ」の出演を宣伝する1939年のポスターを参照すると、「ドイツ一の女性劇団:一つの肉体、一つのリズム、一つの鼓動!」というキャプションの下に、武器を持って軍服に身を包んだダンサーたちの勇姿が描かれている。

また、ナチス党のプロパガンダとして名高く、1936年のベルリンオリンピックの記録映画として撮られたレニ・リーフェンシュタール監督の『オリンピア』(1938年)にも、「ヒラー・ガールズ」の姿を見ることができる。

こうした「ヒラー・ガールズ」の描写は、ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相、ヨーゼフ・ゲッペルスが推奨した「透明なプロパガンダ」の一貫であると、ゴードンは論じる。つまり、人体から個別性を取り除き、ステージ上に機械的な秩序を作り出すことで、観客を興奮に誘う「プレシジョン・ダンス」は、思想を画一化して、唯一無二のシステム下に国民を統治するナチス政権の全体主義と、構造的に酷似している。

そのため、一見政治とは無縁のエンターテインメントという形で、党の思想を滞りなく浸透させる有効な手段として、「プレシジョン・ダンス」は、極めて「政治的」に利用されたのだ。