「移民の大統領夫人」はトランプ政権にとって不都合な存在?

メラニアはアメリカの「母」になれるか
渡辺 将人 プロフィール

大統領夫人の独自外遊の意味

ヒラリーやミシェルのような資質を持つ大統領夫人にとって、夫の再選や中間選挙など、選挙を邪魔してはいけないという条件は、多くの場合はしがらみでしかない。

1993年の医療保険改革失敗後のヒラリー夫人はふさぎ込み、自分を責めていたという。ホワイトハウスの会議にも来なくなり、引きこもった。

しかし、内政で居場所を失ったヒラリーは、外遊に活路を見いだした。インド、パキスタンなど南アジア5ヵ国歴訪を皮切りに、娘のチェルシーをともなって積極的に世界に飛ぶようになったのだ

 

内政に比べれば、外交における大統領夫人の活躍の潜在的余地は少なくない。それはヒラリーが、過去の自分の人生の記憶で特別な海外経験が、国務長官時代のそれではなく、大統領夫人として参加した1995年9月の世界女性会議であると述べていることにも表れている。

北京で行われた同会議でヒラリーは「人権は女性の権利であり、女性の権利は人権である」という有名な言葉を残した。

ヒラリーの演説の放送を中国政府が妨害する中、ヒラリーは「自由(Freedom)とは集まり、組織をつくり、開かれた討論を行う、人々の権利を意味しているのだ」と述べた。活動家の関連イベント開催を許さず、チベットや台湾の女性の参加も制限するなどした中国政府を牽制したのである。

同じことを大統領が行うことは難しい。しかし、大統領夫人、そして女性という立場だからこそ、「女性の権利」を「人権」という普遍的価値に敷衍させることで、ヒラリーは中国に強いメッセージを発した。

アジア重視を推進したヒラリーの対中外交デビューは、厳密には、この1995年の北京訪問である。

上手にやれば、ファーストレディだって外交ができる。ヒラリーは後続に手本を示した。それは夫の大統領の脇役ではなく、主役として単独で外国を来訪する手法だった。

ヒラリーがもし医療制度改革に邁進するだけだったとしたら、国務長官、大統領候補というその後の進路に至っていないかもしれない。オバマと違って外国語はできない国内派のヒラリーは、なるべく現地を歩いて、人に会って、アメリカを相対化することに努めた。

非公式「大統領夫人」は娘のイヴァンカと娘婿か?

さてメラニア夫人はどんな類型にあてはまるのか。「移民の大統領夫人」で国際派のシンボルの素質を備えつつも、今のところ大統領夫人の存在感の後退の象徴のようにも見える。

メラニア夫人はバロン君が学年を終える切り替わりの時期まで教育のためにニューヨークのトランプタワーに残るという。ホワイトハウスに移り住んでいない。

トランプ陣営は選挙中からメラニアを目立たせなかった。党大会演説での盗作問題での批判、外国訛りの英語発音への誹謗中傷から夫人を庇護する目的があった。かつてジョンソン副大統領夫人に公務を押しつけ、大統領夫人として表に出ることに後ろ向きだったジャクリーン・ケネディのように内に籠る可能性もある。

代わりにワシントンに移り住んだのはトランプ大統領の娘のイヴァンカ夫妻である。トランプのホワイトハウスでは、大統領夫人室を大統領ファミリー室に切り替える方針も取沙汰されてきた。

しかし、こうした「トランプ流」には傾向には2つの批判がある。