マルサの尾行はこんなに大変です…「あだ名」を頼りに、半年張り込み

「国税局査察部24時」特別篇
上田二郎

12時に診療が終わってターゲットが自宅に戻る。ここから、いつ、どのような交通手段で銀行に向かうのかは判明していない。最寄りの駅まで徒歩で10分ほどかかるが、自転車で行くかもしれない。所要時間から逆算して、13時30分頃に出発するものと想定していた。

特車に潜んでモニターで監視していると、12時30分にガレージの電動シャッターがゆっくり上がり始めた。迷っている暇はない。ガレージには妻が使っている赤い軽自動車もあったが、ジャガーを使うのはターゲットのほうだ。

伊崎チーフ「医院の前まで行け! 軽自動車なら戻ってこよう」
上田   「了解しました。どうやら出るのはジャガーのようです」
伊崎チーフ「よし! 間違いない。銀行へ行くなら右折してインターに向かうはずだ。助手席に誰かいるようだが、奥さんか?」

シャッターが上がりきると同時に、滑るようにジャガーが出てきた。車庫前で右折ウインカーを出し、ハンドルを切って国道に出た。タイミングはドンピシャ。特車が自然にジャガーの後ろに張り付いた。進行方向も予測通りだ。

伊崎チーフ「いいぞ。ベタ張りでいいから絶対に見失うな。ターゲットが後ろを警戒している様子はない」
上田   「思ったより出発時間が早いですね。昼食も取っていないようです」
伊崎チーフ「高速が渋滞することも考えて早めに出たのだろう。もっとも、まだ銀行に行くとは決まっちゃいないが……」

インターチェンジ方面に向かうジャガーについて信号を左折し、順調に後を追っていた。市街地を追跡している間は特車の性能に気づくことはなかったのだが、高速に入った瞬間、その「悪さ」に気づいた(それが本稿冒頭のシーンである)。

伊崎チーフ「特車です。追跡できません。このまま池袋方面に向かいますが、そちらにターゲットが到着したら連絡願います」
川中総括 「特車でジャガーを追跡するのは無理だったか……」

空白の1時間

テールランプは見えなくなったが、とにかく池袋を目指すしかない。銀行には川中総括以下6人の査察官が張り込んでいるため、ターゲットが銀行に現れれば、尾行の失敗は帳消しになる。高速は渋滞もなく順調に流れており、40分ほどで目的地に到着した。

上田「チーフ。もうすぐ池袋に着きますが、このまま銀行に向かいますか?」
伊崎チーフ「それしか選択肢がない。しかし、いつもターゲットが銀行に現れる時間より1時間も早いな」
上田「そうですね。銀行部隊から連絡がないので、まだ到着していないようです。銀行が目的地ではなかったのかもしれませんね」
伊崎チーフ「いや。絶対に現れる。そろそろカネが溜まって隠し場所に困る頃だ」

 

銀行に到着してしばらく張り込んでいると、14時35分にターゲットひとりが徒歩でやってきた。後日の調査で判明したことだが、現物債の購入日はホテルを予約し、車を置いてランチを取ってから銀行に来ていた。

そして、その日の晩はホテルに泊まって、妻と高級ディナーを楽しんでいた。

医師は強制調査時の供述で「医院が流行って毎日働き詰めだった。カネを貯めるのが唯一の楽しみだった」と語っていた――。

この事案は比較的早く、しかも簡単に帰属が割れたケースだ。中には1年に1回しか現れない者もいる。いつ来るのか分からないターゲットの「あだ名」だけを頼りに特車に潜み、銀行に出入りするすべての人物に目を凝らして、6ヵ月間待ち続けたこともあった。かくも苦しい尾行、張り込みを経て、ようやく証拠に辿り着く――マルサの任務は、これを繰り返すことによってのみ、達成されるのだ。

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上田 二郎
1964年生まれ。東京都出身の税理士(上田二郎は筆名)。83年、東京国税局採用。千葉県内および東京都内の税務署勤務を経て、88年に東京国税局査察部に配属。その後、2007年に千葉県内の税務署の統括国税調査官として配属されるまでの合計17年間(途中、2年間の税務署勤務をはさむ)を、マルサの内偵調査部門で勤務した。09年、東京国税局を退職したが、再び税理士として税務の世界につながっている。著書に『マルサの視界 国税局査察部の内偵調査』(法令出版)、『国税局直轄 トクチョウの事件簿』(ダイヤモンド社)、『税理士の坊さんが書いた宗教法人の税務と会計入門』(国書刊行会)がある。