マルサの尾行はこんなに大変です…「あだ名」を頼りに、半年張り込み

「国税局査察部24時」特別篇
上田二郎

現物債は1年物の金融債のため、購入者が再び銀行に現れるのは1年後。満期になって払い戻されたカネを持ち帰る後ろ姿を追いかけるのだが、満期日以降、いつターゲットが現れるかは分からない。

特車を銀行の前に停めて何日も張り込んで、「これだ!」と思ったターゲットを追いかけるのは気の遠くなるような職務である。

その点、今回はターゲットの正体を既に掴んでいた。張り込みの目的は、「水曜午後の紳士」が本当に東京近郊の開業医であるのかどうかを確認することだった。

現物債を購入する目的は、ほぼ脱税と言って過言ではない。しかし、債券発行銀行は通常の銀行業務も行っているため、サラリーマンがATMで現金を引き出す目的や、融資の申し込みで来店する場合もある。

つまり、脱税者だけが利用する特別の銀行ではなく、多くの善良な市民が使っているのだ。そのため、現物債の購入者を特定できれば脱税の大きな証拠になるが、尾行を誤ると、脱税をしていない人物に強制調査に踏み込む(帰属違いと呼ぶ)ことになるため、違っていたでは済まされない。

それでは、どうやって前もって正体を見破っていたのかを説明しよう。

宿泊カードから正体を見破る

時計は6ヵ月前に遡る。銀行調査の最中、突然、川中総括から尾行の指示が下りた。

川中総括 「ちょっと、あのスーツの紳士を追いかけろ!」

50歳前後の紳士が2000万円で現物債を購入し、現金を取り出したアタッシェケースに現物債をしまって銀行を出ていった。追跡したのは宗田査察官と神大査察官。ターゲットは近くにあるホテルの1503号室に入った。

ここからは川中総括の出番だ。いかにマルサが協力要請をしても、ホテルが個人情報の詰まった宿泊カードをおいそれと見せることはない。総支配人と交渉し、後日、国税局の正式な照会文書を持参して宿泊カードを閲覧、ようやく紳士の名前が判明した。

ターゲットの確定申告書を調べると、東京郊外(池袋から小一時間ほど)で開業する医師だった。経営する医院は近所の評判も良く盛況のようだ。水曜日の午後から木曜日が休診で、サラリーマンのために土曜日、日曜日も診療していた。

現物債の発行日は毎月28日。ターゲットは28日以降一番早く訪れる水曜日に、2~3ヵ月に一度のペースで現れていた。駐車場の記録にはジャガーを乗りつけている形跡はなく、正体がバレないよう電車で来店していると判断していた。

 

張り込みは今日で3回目。特車の望遠カメラで捉えた姿から、医師が「水曜午後の紳士」であることは確信できたものの、前2回の張り込みではターゲットに動きはなく空振りに終わっていた。

張り込みはターゲットの医院兼住宅班と銀行班の2組に分かれ、午前11時から開始した。医院は住宅街にあって周囲に大きな建物がない。見通しが良く、診療時間中は200メートル遠方から、望遠カメラで監視していた。