大下剛史に聞く(1)広島カープ悲願の初優勝、その舞台裏

伝説の監督ジョー・ルーツの思い出
二宮 清純 プロフィール

――大下さんが移籍してきた時のカープの雰囲気は?

大下 主力いうても山本浩二とサチ(衣笠祥雄)はワシより二つ下。子供の頃から知っている(三村)敏之は、四つ下じゃ。言ってみれば、まだまだヒヨコですよ。

ワシがリーダーの役を果たすことができたのは、やはりワシが広島生まれの広島育ちやったからですよ。そうじゃないと選手はついてきません。ただ、いろいろと苦労はあったけどね……。

――苦労した点というのは?

大下 キャンプがスタートして10日くらいたった時のこと。いまは“三勤一休”とか“四勤一休”とか、キャンプが始まる前に休みを決めておくけど、ルーツは1日も休みを設けんかった。

――そりゃ、選手から不満が出るでしょう?

大下 だから浩二とサチがワシのところにきて「先輩、監督に“休みをくれ”と言うてください」と頼むんです。「監督が言うことを聞きそうなのは大下さんくらいですから」と。

それで代表してワシが言いに行ったら「オマエら、昼からずっと休んどるじゃないか。まだ休みが欲しいんか?」と。確かに休みはなかったけど、レギュラークラスの選手は、昼過ぎには、もうあがっていた。ルーツにはルーツなりの考えがあったんじゃろうね。

去り方も劇薬だったジョー・ルーツ

――ルーツは闘争心を前面に出す監督でした。一方で、緻密な野球は、それほど得意ではなかったとも聞きます。シーズン途中で監督になる古葉竹識さんも、そうおっしゃっていた。

大下 ルーツが好きなのはハッスルプレー。自らが、わざわざダイビングの見本をやるわけよ。「オマエらに一番欠けているのはファイティング・スピリットじゃ」と。もう、そればっかり。内野のフォーメーションもクソもないよ。そういう細かいことは、あまり知らなかったんじゃないの……。

――75年と言えば新外国人のゲイル・ホプキンスとリッチー・シェインブラムも活躍しました。

大下 ワシが印象に残っているのはホプキンスじゃね。あれは頭がよかった。ポジションはファーストやから、ワシの横で守っとるわけよ。それほど動きがよかったわけじゃない。

しかし研究心はピカイチじゃった。ワシに何と言ったと思う。「ピッチャーがカーブを投げる時は、ワシに教えてくれ」と。ファーストのポジションからじゃ、キャッチャーのサインが見えない。それでワシに頼んできたんよ。

こんなこと言う外国人は初めてじゃったね。そこで、バッターが左の時、カーブのサインが出ると、ワシは「ゲイル!」と声をかけた。するとアイツ、さっとライン際に寄るわけよ。引っ張る確率が高くなるからね。

引退後は医者になっただけのことあるね。アイツは大したもんじゃったよ。

――チームを改革したルーツですが4月、審判の胸を小突いて退場。これが原因でチームを去ることになります。まさに劇薬でした。

大下 甲子園での阪神戦で審判ともめて、代表の重松さんが球場に入ってきた。「グラウンドの指揮官は監督だ」と言った最後のセリフ、よう覚えていますよ。まさか、あそこでやめるとは思わんかった。

だけど短期間でチームを変えたのは、何やかんや言うてもルーツの功績ですよ。ただルーツがあのまま居座っていたら、チームはどうなっていたかわからんね……。

(第2回はこちら

読書人の雑誌「本」2016年11月号より

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