『嫌われる勇気』の著者が、母の死を機に辿り着いた「ある答え」

日々の何気ない幸福を感じるために
岸見 一郎 プロフィール

生きているだけでありがたい

私が心筋梗塞で倒れた時にも、母が病床で過ごした日々のことを思い出さないわけにはいかなかった。母はやがて意識を失ったが、私は、母が生きているだけでありがたいと思った。

母と同じく病床で動けなくなった私が、自分自身についても、生きていることが他者にとっての喜びであると思えるようになるまでにはたしかに時間がかかったが、それでも、たとえ何もできないとしても、自分は他者に貢献できるのだということを知った。

入院中、最初の頃は、夜眠ると再び目を覚ますことはないのではないかと思って怖かった。だが、何もできなくてもそのままの自分を受け入れることができるようになると、安心して眠れるようになった。

そして、一度は死にかけたことも、またいつかは死ぬことも忘れて、今日という日を今日という日のために生きることができるようになった。

このように思えればこそ、日々の何気ない瞬間に幸福を感じられ、何かの実現を待たなくても、今ここで幸福であることに気づくことができる。そしてこのような幸福は、何が起こっても失われることはない。

生きることの目的は、父と焚き火をしていた時の、また母とドイツ語を学んでいた時のような、ささやかな幸福を感じた瞬間と矛盾するものであってはならない。

だが、このような幸福とは違う幸福があると思う人がいる。日常のささやかな幸福など一顧だにせず、成功することこそが幸福だと思う。私は成功について考える時、よく次の逸話を思い出す。

ディオゲネスの答え

マケドニアのアレクサンドロス大王が、ソクラテスの流れを汲むギリシアの哲学者であるディオゲネスの元に赴いた時のこと。ディオゲネスは生活上の必要を最小限にまで切り詰め、自足した生活を送っていた。

アレクサンドロスは、マケドニア王に即位した後、ペルシア征伐の全権将軍に選ばれたが、多くの政治家や哲学者が彼のところに祝いにやってきたのに、ディオゲネスだけは、アレクサンドロスをまったく問題にせず閑暇を悠々と過ごしていたので、自らコリントス(ギリシアの都市)にいたディオゲネスの元へ足を運んだのだった。

ちょうどディオゲネスは日向ぼっこをしていた。そこに多くの人がやってきたので、彼はちょっと身を起こしてアレクサンドロスをじっと見た。アレクサンドロスは彼に挨拶をして「何かほしいものはないか」とたずねた。するとディオゲネスは、「その日の当たるところから少しばかりどいてくれないか」といった。

日光浴をしていたら、物々しく武装した兵士たちが突然踏み込んできて、のみならず七十歳にもなろうとするディオゲネスに、二十歳そこそこの若いアレクサンドロスが、「何かほしいものはないか」というというのは、ずいぶん無礼な話である。

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とはいえアレクサンドロスは、ディオゲネスの誇りと偉大さに感服し、「もしも私がアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスでありたかったのだが」、そう語ったと伝えられている。

片や大帝国の王、片や何も持たない哲学者。アレクサンドロスは何も持たず権威をものともしないディオゲネスの人となりに心底驚嘆し、自分もディオゲネスのようになりたいと望んだのではないだろうか。もしかしたらディオゲネスも、今ここでディオゲネスになれるとアレクサンドロスにいいたかったのかもしれない。

しかし、アレクサンドロスはアジアへの遠征に出かけなければならなかった。結局、二度とギリシアの地を踏むことなく、アレクサンドロスは三十四歳の若さで急逝した。

アレクサンドロスは、今ここで幸福であることができたはずだった。おそらくディオゲネスの前に立った時、アレクサンドロスにもそのことはわかったのだろう。それなのに、それとはまったく別の幸福があると彼は信じた。

アレクサンドロスにとって、それは敵と戦い、敵を征服するという成功だった。成功などしなくても、すでに幸福なのに、である。

本書では、私はもっぱらプラトン哲学とアドラーの思想を踏まえ、私自身の見解を加えて幸福について論じてゆきたいと思う。プラトンは目的論に立ち、自由意志を認め、人間の責任の所在を明確にしている。

アドラーも基本的に同じ考えだが、プラトンが十分に論じていない対人関係を問題にしている。幸福が対人関係を離れては考えられないとすれば、アドラーの思想は幸福の問題をより実践的に考える時に有用である。

私はたった一度でも、相談にきた人の人生が変わらないようなカウンセリングをしてはいけないと考えている。本書を読めば、幸福はどこか遠くに探しに行かなくても、初めからここにあったことがわかるだろう。

この一冊でアドラー心理学が身につく!