# スマートフォン # 社会風俗

元旦の朝、私が東京ディズニーシーで目撃した「ある不気味な光景」

数千人がスマートフォンを手に…
堀井 憲一郎 プロフィール

神社では二礼二拍手一礼、というのは(それをやや強制するのは)、私はインターネット文化だとおもっている。インターネットが広めた文化だ。

インターネット世界は、かなり原理主義的である。

あまりにヨタ情報が多いため、この世界は、真面目な人たちはより正しい姿を求め続ける、という傾向がある。神社での拝み方について質問があったら、いろんな経緯をたどるにしても、おそらくすべての回答が「二礼二拍手一礼しなさい」ときっちりと指し示すだろう。

どんどん原理的に意見が統一されていく。曖昧なものが排除されていく。

それが正しいように見える。正しいように見えるから、厄介である。

たしかに、神社では、二礼二拍手一礼するのが、正しいだろうし、日本のスタンダードとして、それが定着していくのは、べつだんかまわない。(例外もあるのだが)。

ただ、そうなると、初日の出が拝みにくくなる。

拝むなら二礼二拍手一礼をしなさい、と言われると、なんか、いや、べつにそこまでして、とおもってしまう。

太陽を拝むというのは、なんか、もっと原初的な感情だろう。神道が無理して作った礼拝儀礼とは関係がない。お日様が昇ってくると、なんかありがたい感じがするから、拝む。それでいいんじゃないのかしら。

太陽の存在が私たちの生きていくもとにあるのだから、ただ、拝むだけでいいとおもう。そういう原始的感情を捨てないほうがいいのではないか、と何かが私に語りかけてきます。

だから、二礼とか、二拍手なしに、拝めばいい。二拍手だけで拝むのでもいい。

インターネット原理社会以前には(つい二十年ほど前ですが)そういう曖昧なエリアがたくさんありました。べつだん、急いでそこをなくすことはないとおもう。

太陽に対しても、二礼二拍手一礼、と言われると、いえ、そこまではいいです、とおもってしまって、そうなると〝初日の出〟に対して、することがない。写真を撮るしか、やることがおもいつかない。だから、数千人が拝まずに写真を撮ることになる。なんか、どっかで手続きを間違って、違う地平に出ている気がする。

初日の出には手を合わせるのが、私は好きです。