これまで日本人を最も飢えから救った食べ物!? そのスゴさを見直す

さつまいもの胸焼けとぬくもり
藤原 辰史 プロフィール

さつまいもに救われた

とにかく、わたしは、オリーブの緑がまぶしい瀬戸内の島で、小豆島の旬の食材を使った美味しい弁当がもうすぐ食べられる前に、残飯、南京米、さつまいもによって空腹を凌いだ貧民たちの話をしたのだった。

小豆島のさまざまな場所を見学したあと空腹を抱えた研究者たちのまえで残飯の話をすることに、若干の躊躇がないわけではなかったが、食べものの世界の本当の奥深さを知ってほしいという思いをひそかに抱いていたこともたしかである。

欧米から来た研究者たちの反応は驚くほどよく、話が終わったあと、冷や汗が引かぬまま食事を囲んだテーブル席で質問攻めにあった。

ただ、もうひとつ気になっていたことがあった。

 

小豆島の東海岸に位置する福田での食事会は、自治会長さんをはじめ、地元の方々との交流も目的としている。

江戸時代の大阪城再築のときに、小豆島の良質な石が採掘して、切られ、船で運ばれたのだが、福田港はその港のひとつでもあった。

また、そういった歴史や瀬戸内芸術祭を通じて文化を通じた町おこしに積極的な地域でもある。

つまり、わたしは、福田のみなさんのまえでも小豆島と関係のない話をしていたことになる。不興だったかもしれないと不安になって、恐る恐る感想を聞きにいったら、みなさんはこんな話をしてくれたのだった――。

小豆島では、さつまいもがよく食べられていた。自家用の田んぼもあるそうだが、それほど多いわけではない。秋にさつまいもを収穫すると芋釜にいれて一年間近く保存する。

小豆島の特産品といえば、オリーブや素麺やゴマ油や醤油だけれど、さつまいもが小豆島食生活史のなかで重要な位置を占めることを、福田のみなさんは丁寧に話してくださった。

もっとも驚いたのは、小豆島の名産の佃煮。小豆島は海産物に恵まれ、小魚の佃煮はみやげ物としても喜ばれるが、それは、最初は海産物ではなく、さつまいもの蔓の佃煮から始まったことである。

瀬戸内海最大の島で、貴重な食材であったさつまいもとその蔓。そういえば、10年前に同僚たちと対馬にいったとき、この島でも水田が少なくさつまいもが「孝行芋」と呼ばれ、貴重な食料だったことを知ったのだが、そんな昔の旅を思い出した。

さつまいものでんぷんから作られた黒っぽい麺「ろくべい」の歯ごたえと風味はいまも忘れられない。シンプルであるが、風土に深く根ざしたさつまいもの史実にわたしは心打たれた。福田のみなさんのお話とさつまいもに感謝しながら、バスに乗った。

から藷を抱く

二度目のさつまいも救いは、それからあまり間をおかずにわたしに訪れる。

熊本で、石牟礼道子さんと対談をするという僥倖に恵まれたときである。

本の感想には、面白かった、心打たれた、一気に読めた、深く考えさせられた、など、いろいろな言葉があるが、「打ちのめされた」という言葉は、石牟礼さんのご著書にこそふさわしいと思う。

苦海浄土』(1968年)はもちろん、『椿の海の記』(1976年)や『あやとりの記』(1983年)なども、膝を地に落とし、頭をかかえるしかない強みと重みをもっている。

そんな作家に向かって、どんな言葉を投げかければいいのか。対面したとき、自分のあまりにも小ささに冷たい電流が体を走ったように感じた。

このときの対談は『婦人之友』の2016年2月号に掲載されているが、いまでもこの対談が成立していることが信じられない。

ただ、もし成立しているとしたら、石牟礼道子さんの信じられないほど強い知的好奇心と、さつまいものおかげである。