【プロ野球感動読み物】元巨人・東野峻の静かなる「退場」

「5年前の開幕投手」はバッピになって
週刊現代 プロフィール

第二の人生

「オリックス時代は、肩に加え、常に首の痛みがとれなかった。左半身がしびれるようになり、朝起きると体が動かない。2週間くらい、ずっと寝たきりの時期もあった」

焦りといらだちが、東野の精神を追い詰める。

「『俺は巨人で開幕投手を務めた男なんだ』という気持ちが、焦りにつながった。『勝たなければ』と思えば思うほど、狙ったコースにボールがいかなくなる。フォアボールでランナーをためてはヒットを打たれるという悪循環が続き、次第にマウンドに上がるのが怖くなっていきました」

ストレスのあまり、東野の胃には、3つも穴が空いていた。

「不安から逃れたくて浴びるように酒を飲むこともあった。家に帰ると、巨人時代の一番良かった頃のビデオを見返しては、『これが本当の俺なんだ』と、現実逃避する。その繰り返しでした」

'14年のオフ、一軍での登板機会がないまま、東野はオリックスから戦力外通告を受ける。プロ生活、10年目の秋だった。

「すっかり自信を失い、正直、『もう引退してもいいかな』という思いもありました」

だが、東野を思いとどまらせたのは、巨人時代から兄と慕う、内海からの一本の電話だった。

 

「『お前は、俺を抑えて開幕投手になったエースなんだ。トライアウトも受けずに逃げ出すのは許さん』と。そこで、はっと目が覚めた。トライアウトまでの数日間、目の色を変えて練習に取り組みました」

息を吹き返した東野は、トライアウトで好投し、DeNAから声をかけられる。「どん底」を味わった東野の野球に対する姿勢は一変した。

「『自分は一度死んだ身。もうどうなってもいいからチームに貢献しよう』と決意していました。全体の練習が始まる前に、誰よりも早く球場に行き、ウエイトをし、走り込む。絶対に一日も休まず、やり抜こうと決めました」

だが、現実とは残酷なもの。心を新たにひたむきな努力を続ける東野に、一軍からの声はなかなかかからなかった。

そして、シーズン終了後のある日。その日も誰よりも早く練習に励んでいた東野は、高田繁GMから戦力外を告げられる。

「覚悟はできていた。GMに言われてすぐ、『はい、もうやめます』とスパッと答えました」

バッティングピッチャーへの転身を打診され、東野は快諾。「第二のマウンド人生」が始まった。

「とにかく投げ続けられる環境を与えてもらえたことがありがたかった。でも、いざやってみると、『抑える』のではなく『打たせる』球を投げるのは、予想以上に難しい。

打撃投手の先輩たちから『アイツは、あそこに投げると綺麗に飛ばしてくれるよ』とアドバイスをもらいながら、見よう見まねで投げていました」

東野の仕事は、バッティングピッチャーだけではない。朝10時過ぎに球場に入り、用具を整える。早出の打撃練習が始まると、外野守備にまわり、その後ようやく投げる。

試合が始まると、用具係としてボールの取り替えやユニフォームの準備。時にはスコアラーの手伝いもする。