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海老蔵が静かに進める歌舞伎界「再編」〜歴史の目撃者になるチャンス

これは現代の貴種流離譚だ!
中川 右介 プロフィール

代々の猿之助は歌舞伎界では異端児だった。「異端」であることが伝統となっている、不思議な家だ。スーパー歌舞伎で知られる3代目猿之助(猿翁)も、いまの4代目も異端児だ。

3代目は、襲名した63年に祖父と父とを相次いで亡くし、歌舞伎界の孤児となった。一緒にやろうと声をかける大幹部もいたが断り、自主独立の道を歩んだ。

その業績としては、新作のスーパー歌舞伎、古典の復活上演、古典の新解釈による上演が挙げられるが、もうひとつが、門閥主義をとらず、一般家庭出身の役者を育て上げたことだ。

1965年に国立劇場が開場すると、歌舞伎役者を育てる研修所ができた。3代目は、その出身者を一門に入れて、大役に抜擢していった。猿之助一門はそうした一般家庭出身者がほとんどだ。

その代表が市川右近だった。彼は国立劇場の研修所出身ではなく、日本舞踊飛鳥流宗家の長男で(飛鳥流の創流は1980年で、右近が生まれた時はまだこの流派はないから、「宗家の家に生まれた」わけではない)、少年期に3代目の一門に入った。

右近の他、猿之助一門では、市川笑也、市川笑三郎、市川猿弥、市川春猿、市川月乃助らが主役級として活躍していた。

3代目は女優の浜木綿子と結婚し男子が生まれたが離婚したので絶縁状態にあった。その子が香川照之で俳優にはなったが、歌舞伎とは関係がない道を歩んでいた。

3代目の弟が市川段四郎でその子・亀治郎は子役時代から才能を発揮していた。しかし、亀治郎は一門を出て独立した。

そんな「家庭の事情」もあり、4代目猿之助を誰が継ぐのかが、いろいろと取り沙汰されており、右近も有力候補のひとりだった。

2003年に3代目が脳梗塞で倒れてからも、一門は右近を中心に結束して興行を続けていた。

だが2012年、亀治郎が4代目猿之助となり、香川照之が歌舞伎役者も兼ねることになって9代目市川中車を襲名、その長男が團子を襲名した。将来は團子が5代目猿之助を継ぐための布石とされる。これによって、右近が猿之助になる可能性はなくなった。

正直なところ、私にはなぜ猿之助(3代目)が右近を重用して主役に抜擢しているのか理解できなかった。たしかに顔はいいし、声もよく通る役者だが、主役を演じる役者として、何もオーラを感じなかったのだ。所詮は猿之助の代役、影武者でしかないのではないかと思っていた。

ところが、猿之助にならないと決まってからの右近は、何かふっきれたのか、独特のオーラが出て来た。とくに海老蔵と組んで、悪役、敵役を演じるときは迫力があった。そうこうしているうちに、主役を演じる際も、格段に輝いてきたのだ。

 

海老蔵の意図は?

前述のように、2012年、猿之助が2代目猿翁に、亀治郎が4代目猿之助に、香川照之が9代目中車に、その子が5代目團子にという、父子3代・4人の同時襲名がなされた。

半世紀前の3代目猿之助襲名披露興行には出なかった市川宗家も、この時はまだ元気だった團十郎と海老蔵とが揃って出た。

その数年前から、成田屋・市川宗家と澤瀉屋との関係はきわめて良好になっていたのだ。

3代目猿之助が病に倒れてから、その一座は坂東玉三郎が率いることが多くなり、そこに海老蔵が加わることもあった。

一方、2007年の成田屋のパリ公演に4代目(当時は亀治郎)が同行したこともある。

さらに、そもそも香川照之が歌舞伎界に入るにあたっては、海老蔵が影の立役者として存在する。

2006年に海老蔵は映画『出口のない海』に主演し、その時の共演者に香川照之もいた。

同映画の特別試写会が歌舞伎座で行われ、その時に出演者としての舞台挨拶に香川も出て、彼は初めて歌舞伎座の舞台に立った。これが、香川が「歌舞伎」を強く意識した瞬間という「物語」になっている。

香川の歌舞伎界入りには海老蔵が相談に乗っていたとする報道もあった。