# キリスト教 # 近現代史

戦後日本を覆いつくした無意識の「言論統制」〜語られずに消えた記憶

戦前と戦後の「断絶」を考える
堀井 憲一郎 プロフィール

実際に朝日新聞に載った「クリスマスバカ騒ぎの批判文」は以下のものである。
(1948年から1960年の記事で「声」などの読書投書欄はのぞいている)。

1949年12月18日「天声人語」「キリストの欠席クリスマスであり、酒と色と浪費と背徳の降臨するクリスマス騒ぎ」

1951年12月2日「今日の問題」「キリスト教に無縁の衆生が、キリスト教の行事であるクリスマスだけを借りてお祭り騒ぎをやる」

1951年12月25日「今日の問題」「キリストをそっちのけにしたクリスマスもおかしなもの」

1953年12月23日「論壇」「キャバレーやバーでは、クリスマスは誰の誕生日やらも考えたことのない人々が、怪しげな格好して踊り狂っている」

1953年12月23日「きのう きょう」「バカ騒ぎは、むしろ年々、盛んになるばかりである」

1953年12月24日「天声人語」「日本の〝邪道クリスマス〟だ」

1953年12月24日「今日の問題」「日本では、商売人の守り神のお姿だけがクローズアップ」

1955年12月25日「きのう きょう」「近ごろのジングルベル・マンボなどをきくと、そのアクロバットはどこの国のクリスマスか」内村裕之(内村鑑三の子息)

1955年12月25日「イブ騒ぎをこう見る」「世界中どこへいってもこんなバカな騒ぎはみられない」大宅壮一。

1956年12月17日 ひとときの投書欄「またあの歯の浮くような騒ぎをしようとしているのでしょうか」

1957年12月21日「きのう きょう」「ドンチャンさわぎのクリスマスがまためぐって来る」

1958年12月6日「天声人語」「キリスト降誕祭を酒神の乱チキ騒ぎにするのはバカげたこと」

1959年12月21日「天声人語」「クリスマス・イブに酔っぱらってドンチャン騒ぎをする悪習はいっこうに改まらない」

1960年12月24日「天声人語」「日本でもキリスト教とは無関係な人々が(…)バーやキャバレーでクリスマス・カロルを歌って騒いだりする」

1960年12月24日「東京クリスマス」「今宵のすばらしいクリスマスは、名前だけをのぞいて、もはや西欧的なものはなにひとつない。すべてが日本的」

1960年12月25日「今日の問題」「大いににぎやかに過ごした人たちも、少なくはなかったろう」

1961年12月23日「天声人語」「キリスト教には無縁なクリスマス“狂徒”の乱チキ騒ぎも、近年いくらかお静かになった」

1951年は2件、1953年に4件ある。このあたりがクリスマス騒ぎのピークであったのがよくわかる。

論調はすべて同じである。

キリスト教徒でもない日本人が、どうしてここまでバカ騒ぎをするのか。もっと穏やかに過ごすべきである、ないしは、その金を有効に(施設への寄付などへ)使うべきである。

この論調がいつも展開された。

そしてもちろん、バカ騒ぎをする当人たちは、そんな意見など1ミリも聞かれることはなく、放歌高吟し町を暴れまわり、ガラスを割り、火災報知器を鳴らし、踊り続けた。

どう見ても、言っても無駄だとわかっていて、それでも発言している。

いまとなって見ると、べつだん良識層と、悪ふざけ層の対立には見えない。

私には、ひとつの人格にしか見えない。その裏表にすぎない。

口では良識的なことを言っているが、行動するときはバカ騒ぎに参加してしまう。そういう分裂ぎみのひとつの人格に見える。

わが国は、はるか昔からそういう分裂を抱えたまま、無理してやってきている。国際的緊張のただなかに放り込まれると、その緊張から奇妙な分裂を引き起こす。それは中大兄皇子のむかしから、井伊直弼も、また吉田茂も苦しんだところである。

そのホンネとタテマエを抱え込み、いいタイミングでそれを出し入れできる人間でないと、この国では一人前とみなされてこなかった。